妊娠から死産まで3「旧名で受診」
訪問看護師をしていた私は、明後日休みを取って病院を受診した。
先月はメンタルの浮き沈みが激しく、疲労が強くて退職したいと上司に泣いて電話をしていたものだ。株式会社の訪問看護ステーションであり、東京23区に支店を持つ職場。しかし看護師不足が著明で、利用者の人数も少ないため私が働くステーションは看護師は自分一人のみ。いくら利用者が少ないといえ、責任が重く、相談できる環境がなく、他店舗のフォローも続き心の余裕が無くなっていた。
あの時は本気で退職を考えていたが、今思えばホルモンバランスも関係していたのではないかと思う。あれだけ自分の感情をコントロールできなくて泣きじゃくったのは、新人の頃依頼だった。
ちょっとしたことでイラついて、ちょっとしたことで不安になって、軽い鬱のような感覚だった。女性ホルモンって怖いと、つくづく思う。
そして、5月12日。
家から一番近い病院で産みたいと思い、歩いて10分の国立病院を受診。
まだ入籍をしていなかった私は、とりあえず旧姓で受診した。名前の変更は、もろもろ後でゆっくり処理しようと思っていた。出産までに全ての手続きが終えればいいんだと。デキ婚の人のブログを見て、事務処理はあとから何とかなると書いてあったので、特に気にしなかった。
初めての産婦人科受診、緊張と期待でいっぱいだった。
看護学生の頃、実習でしか見たことがなかった産婦人科の検診台。がぱっと股が開く椅子はやっぱり最初は羞恥があったが、「おお、ついに私もこの椅子に座れるのか」と少し感動した。
経膣エコーの初めての感覚は、やはり違和感が強かった。でも期待でワクワクした。
若くて落ち着いた男のA医師が主治医となり、ドラマや漫画で聞くセリフを受けた。
「おめでとうございます。赤ちゃんの袋、見えてますね」
エコーで胎嚢を確認し、思わず「ほう」とため息がでた。第一印象は、すごく丸い。
自分の顔が丸いから、こんなにも丸いのか、と心の中で自虐的なギャグを呟いて一人で笑いを堪えていた。
自分の臓器を見るのは不思議な感覚だ。小さい命が宿るって、すごい。
妊娠5週と4日、まだ小さすぎて心拍は確認できず。アプリを使って生理の周期はこまめに管理していたので、後にこの週数がズレることはなかった。
次回受診は少し期間明けて6月10日の予約となる。
特につわりもなく、苦しい症状はない。
ただ、妊婦は「病気じゃない」から保険適応せず。初期受診が結構お金をとられて衝撃だった。万札出すのか病院受診で!と文句を言いたいぐらいだ。もともと健康で大きい病気にかかったことがない私は、初めて患者という立場になった。
助成金や出産費用についての制度についても情報を取る必要がある、と意気込んだ。
他にも。
仕事の制限だとか、入籍をいつにするかとか、引っ越しも考えなくてはいけなかった。今の住んでいるアパートがこの時代に珍しく「子供不可」だったのだ。引っ越しと入籍を同時にして、市役所に行く回数を減らそうと考える。
子供が住めるよう、もっと広いアパートに住もうと考えた。
自分の生活が、一気に子供中心の意識に変わる。
子供と一緒に過ごすための準備は本当に忙しかった。
デキ婚じゃなかったら、もうちょっと落ち着いて手続きができたかもしれない。でも夏休みの宿題を最後の週で終わらせるタイプの私。エンジンをかけた状態で全て一気に終わらせることは苦痛じゃなかった。
むしろ、新しい未来を考えるのが楽しかった。
結婚式は、出産後でもいい。コロナもあり、結婚式は身内だけで小さくやりたい。
子供が2〜3歳になった頃に挙げても楽しいんじゃないか、と。
とりあえず、家族が暮らせる環境作りが先だと。
その日の夜は、お互いの両親に電話で妊娠報告し、入籍することも伝えた。
やっぱり最初は、怒られたというか、呆れられたというか。
でもなんだかんだ、やっぱり祝福してくれた両親。
人生の順番は、本当に特に気にしてなかった。
子供を授かったことだけが嬉しくて、世間からどう思われてもいいと思った。会社に迷惑がかかるとも思ったが、産休ギリギリまで働く覚悟もあった。極力迷惑をかけないように、仕事も頑張ろうと思えたのだ。
それぐらい、本気の本気で嬉しかったから。