ヨシムラの日常日記

自分らしく、ゆっくり歩いて行こう

妊娠から死産まで12「LBWC」

 

 LBWC(Lim body wall complex)

 リムボディウォールコンプレックス

 

 この病気は、胸部、腹部、頭部、顔面、脊椎、手足などいくつかの体の欠損を伴う症候群。

 頻度は7000人〜42000人に1人の確率で発症する、稀な病気。

 日本語略が難しい病気で、インターネットで検索しても詳しい情報は得られないそうだ。

 

 主な原因は、羊膜索。子宮内側の膜が剥がれて、胎児に絡まってしまう病気らしい。事実、エコーでみると私の子宮膜は確かに剥がれていて、胎児を包んでいた。胎児初期の血行障害や初期の異形成も考えられるが、わからないことも多いとか。

 予後は不良。致死性が高く、満期までの妊娠継続は困難。人工妊娠中絶を選択する人がほとんどらしい。

 

 この説明を、B先生から夫と2人で受けた。

 担当医はA先生だけでなくB先生も加わり、診てくれるようになる。

 

 遺伝病ではないから、羊水検査はしなくてもいいと先生から提案された。

 産科の教科書でも見たことがない病気の説明に、ただただ頷くしかできなかった。

 

「先ほども説明した通り、まだ心臓は動いていますが・・・いつ止まってもおかしくないご病気です。ただ、このまま心臓が止まらず、出産される方も稀にいます。今後どうしていくか、お二人で話し合った方がいいかと・・・。先日、遺伝カウセリングを受けたという話を聞いたのですが、二人で何か今後の方針について既に決まっていることはありますか?」

 

 B先生の背後に、A先生もいた。

 夫より、最初に私は口を開いた。

 

「本当は、今日の結果で羊水検査を受けるか受けないか決めようと思っていました。それで、羊水検査で病気がわかったら・・・軽症のダウン症とか、ターナーであれば産んであげたいと思っていたんですが・・・」

 

 そこまで答えて、涙がでた。

 

「でも、13とか18トリソミーの子供だったら・・・重症な病気を持って生きて、人工呼吸器をつけるのは可哀想じゃないかという話をして、中絶も検討していたんです。なので、今日は覚悟もしていたんですけど・・・」

 

 もうそれ以上声が出なかったが、先生にはそれで十分伝わったらしい。B先生がティッシュをくれた。

 

「わかりました。では、妊娠を中断する・・・ということで、今後準備をしていきましょうか」

「はい」

「ただ、すぐに決断は難しいと思うので、今日は家に帰って、またお二人で話しあってください。来週また検査をしますので、その時に入院や治療についての説明をしますね」

「はい」

 

 あとは、来週もまた夫も同席するよう説明を受けた。夫の予定を聞いて、予約をしてもらう。来週は待合室ではなく、外来の受付前で待つよう言われた。

 最後は頭を下げて、診察室から出た。

 

 

 家に帰ったら、不思議と冷静な自分がいた。

 LBWCという病気を検索すると、確かにあまり詳しい情報はなかった。でも画像検索をすると、なかなか衝撃的な写真が出てくる。確かに内臓が飛び出ていたり、頭が半分なかったり、足が変な角度で曲がっていたりと、みるに耐えない奇形児ばかりだった。

 でもその画像を見ても、泣きじゃくったりヒステリックにはならず。むしろ、どんな姿で産まれてくるのか、逆に興味が沸いた。

 原因不明とのことだが、なんで子宮膜が剥がれたのか、どう予防する必要があるのか知りたかった。

 同じく画像を検索した夫も「これはひどい体だな」と呻いた。

「んね」しか言えない。

 

 そして、お腹をたびたび触り、本当に心臓が動いているのかと疑った。

 

 でも、方針は今日決まったようなものだ。

 ずっと諦めきれない気持ちとやるせない気持ちだったが、現実を受け入れようと思った。もう神社で祈ったり、なんでこうなったのか、と八つ当たりはしたくなかった。

 

 病気について、とりあえず両親に報告しようと電話した。

 母親は「そっか・・・。でもこればっかりはね」と傾聴してくれる。明日夫と2人で実家に帰っておいで、と誘ってくれた。まだ直接入籍の報告をしていなかったので、そのお祝いをしてくれるとのこと。姉と姪、姉の夫も来てくれるとのことだった。明日は私の誕生日もあり、ケーキも用意してくれるらしい。

 

 多分、赤ちゃんの病気について知らされて、明日実家で結婚祝いと誕生日会しようなんて誘われたら、普通は断るかもしれない。でもその時は、母親に妹の死産について詳しく聞きたいと思った。それと、3歳になる可愛い姪っ子にも会いたい。

 

 先生の前では泣いていたが、家に帰った途端、早く実家に帰りたくて仕方なかった。

 私の気持ちを一番理解してくれるのは、同じ経験を持つ実母だと思ったのだ。