ヨシムラの日常日記

自分らしく、ゆっくり歩いて行こう

妊娠から死産まで13「死産した妹の話」

 

 翌日夫と2人で実家に帰った。

 母親にお腹の子のことを改めて伝える。

 

「4万人に1人かあ・・・。原因がわからないなら、仕方ないね」

「ね。こればっかりはさ、もうどうしようもないから、入院することにしたよ」

 

 母を前にしたら自分がまた泣くかと思ったが、案外普通に会話ができた。

 

「お母さんさ、◯◯ちゃん(死んだ妹)の時、妊娠何週目だったの?」

 

 恐る恐る聞いてみる。子供の時に聞いたらめちゃくちゃ怒られたで、ちょっと気を使った。

 

「妊娠30週だよ。羊水検査で羊水の量が多いって言われててね。様子みましょうね、って言われてたんだけど。なんか、お腹に違和感を感じて受診したらもう心拍が止まってたのよ」

「ええ。30週か・・・」

「後から先生から、羊水が増えてるってことは赤ちゃんが飲み込めてないってことだから、消化管に障害があったのかもって言われたのよ」

「へえ・・・。30週じゃ、やっぱり辛いよね」

 

 13週でもあれだけ精神的におかしくなりそうだったのに、出産ギリギリで心拍停止と言われたら、さぞショックが大きいだろうと思った。

 

「色々自分を責めたよ。妊娠中に海で泳いだのが良くなかったのかとか、シロアリ駆除で薬撒いたからだろう、とか。でもあんた達がいたから、いつまでも落ち込んでられなかったけどね」

 

 私の1個下で、3人目だった妹。初めてちゃんと母から詳細を聞いて、なんとも言えない気持ちになった。

 母の場合、麻酔をして出産したらしい。医師から見ない方がいいと言われ、気が付いたら出産していたとか。見た目は普通の赤子の姿だったとのこと。

 

「あの後、やっぱり妊娠するのが怖くなっちゃってさ。でも3人は子供を絶対欲しかったから、40歳で□□(生きている妹)を産んだのよ。お父さんびっくりしちゃってね。生まれ変わって戻ってきたって思ったけど、それだと□□が可哀想だからって親戚に言われて、あんまり生まれ変わりとかは思わないようにした」

 

 その話を聞いた後、仏壇で夫とお線香をあげた。

 実家に住んでいたときは気が向いたら手を合わせるぐらいで、そこまでお線香をあげたことがなかったが、今なら死んだ妹のことを深く考えられる気がした。そして、母の心情もわかる気がする。

 

 認知症の高齢女性で、よく流産や死産した話を繰り返す人がいた。都道府県とか、電話番号とか、料理の仕方も忘れているのに、自分の亡くなった子供のことはずっと覚えていたのだ。会うたびにその話をしていたので、正直聞き流すこともあったが、そこまで心に深い傷を負っているのだと、今になって感じる。こんな悲しい経験をしている人は、隠しているだけで身近にもっといるのだろう、と思った。

 

 「妊娠は病気じゃない」という言葉が嫌いになる。

 

 というか、非常識にもほどがあるだろう。作ったやつを殴ってやりたいぐらいだ。

 でも事実、私も出産は「当たり前」「幸せなもの」のような印象を持っていた。というか、そういうものだと世間が思っているから、そう思うようになった気がする。周りの友達や先輩もみんな元気な健康児を産み、幸せな家庭を築いている。むしろ、育児が大変だとよく愚痴も聞いていた。育児漫画だって、出産の大変さから、自分の子供の成長記録をおもしろおかしく書いていて、ほのぼのとしていた。

 育児はとてつもなく大変だとは思うのだが、その前の出産にあまり視点がいかなかったことに、違和感を感じる。

 

 「死」は全ての生き物が共通し、平等にくるもの。誰もが体験するもの。

 「誕生」は、当たり前じゃない。平等に全ての命には宿らない。

 

 その二つが合わさった「誕生死」。造語だが、この言葉が一番しっくりきた。二つが重なった赤ちゃんの死って、なんて残酷なんだろうな・・・と思う。まだ誕生していないから、平等にくる「死」を受け入れにくい。妊娠がわかった時点で「生きている」から、何ヶ月も一緒にいる家族になり、愛情だって芽生える。

 

 「産まれること」は奇跡だと思った。「当たり前」にしちゃいけないもの。

 命のありがたみについて、深く考えるようになりたい。

 というか職業柄、考えないとダメな気がした。

 

 ドラマ「コウノドリ」や「ゆりかご」。かなり評判がいいと聞いていたが、泣きたくないからという理由で、私は一度も見たことがなかった。

 でも、今回の自分の赤ちゃんのことと、死産した妹のこともあり、この二つのドラマを見てみようかと、思い立つ。

 

 母親は「いいんじゃない」と言って、私のお腹を触ってくれた。

 

 

 そして、その日は姉が姪っ子と旦那を連れてきてかなり賑やかな夕飯になった。みんなですき焼き鍋を囲んで、準備してくれたケーキも食べた。

 久しぶりに会った姉がいきなり抱きついてきて、「辛かったね」とお腹を撫でてくれた。思わぬ不意打ちに、一瞬泣きそうになったのは内緒だ。その後、私は思いっきり姪っ子を抱きしめた。

 

 翌日は旦那の実家で挨拶をした。

 義理の両親にも、病気について説明し「こればかりはね」と言葉をかけてもらった。そして、またお腹を撫でてくれた。

 2日間弾丸で両親の挨拶周りをし、やっと我が家に帰ってきたときはすぐにベッドにダイブ。

 

「色んな人から撫でてもらって、よかったね」

 

 私もお腹を撫でながら、赤ちゃんにそう語りかけた。

 やっぱり、病気がわかっても、愛しい存在なのは変わりなかった。