ヨシムラの日常日記

自分らしく、ゆっくり歩いて行こう

妊娠から死産まで14「中絶の決意・同意書」

 

 7月14日(木)

 妊娠14週4日

 

 入院前、最後の外来受診にきた。

 夫は後から合流することになり、先に私は腹部エコーを受ける。 

 

「心臓は、動いていますね」

 

 B先生が私の顔を見ながら説明してくれた。

 その後、すぐに遅れて夫も診察室に入って一緒にエコーを確認する。

 

「週数で言うと14週なのですが、赤ちゃんの大きさは同じ週数の子と比べると小さいです。先週C先生が伝えたように、いくつか臓器が体の外に出ている状態で、多発奇形を起こしています。診断名は、リムボディウォールコンプレックスで、やはり間違いないでしょう」

「はい」

「今後については・・・先週の時と方針はお変わりないでしょうか?」

 

 先生が私達の顔を伺いながら質問する。

 「はい」と、夫が答えた。私も涙を拭きながら頷いた。

 

「お互いの両親にも報告して、覚悟を決めました。中絶を、お願いします」

 泣きながら、それでもはっきりと私は伝えた。

 

 まだ、心臓は動いている。

 でも、お腹の中でしか生きられない。いつ心臓が止まってもおかしくない状態。

 心臓が止まるまで妊娠継続を希望する道も考えた。心臓が動いているなら、最後まで自然出産をする道も考えた。

 

 でも、それは今の私の環境では難しいと思った。

 心臓が止まったら、体が異物と判断して自然に流れてしまうかもしれない。それは、どこでいつそうなるのか予想がつかない。日本の法律では、そんな状態でも産前休暇は取れない。いつ出産するかわからないから。それに、金銭面もあり、退職も考えられなかった。有給は受診や引っ越し、不動産の手続きなどで半分以上使ってしまい、ほとんど残っていない。私は働かなければいけない。働いている時に赤ちゃんが流れてしまったら、仕事中にそうなったら、迷惑をかけるのは利用者だ。ほかのスタッフにも迷惑をかけるだろう。

 休みの日だとしても、町中で流産したら、誰に助けを求めていいかわからない。コロナもあり、簡単に救急車は呼べないかもしれない。たらい回しにされる可能性だってあるかもしれない。自分の体にも悪影響が起こる可能性もある。

 

 ちゃんと準備が、必要なのだ。

 

 赤ちゃんのためにも、自分のためにも、夫のためにも。

 すぐ入院をして、中絶することが『家族3人』にとって一番良い選択肢だと思った。

 

 

 「わかりました。では、部屋を変えて・・・後で同意書の説明をさせていただきますね」

 

 先生は、強く頷きながら優しく言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

母体保護法」「手術・処置同意書」「輸血」の書類を出して、先生は一つ一つ丁寧に説明してくれた。

 

 診断名に「胎児多発奇形」と記載があり、胸が苦しくなった。

 

 まだ心臓が動いているため、母体保護法の同意のサインが必要となる。

 第一項 第1号「妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」

私は、これに当てはまる。他の理由としては強姦されただとか、未成年の出産や、配偶者がいないなどの項目があった。

 

 まさか、自分がこの同意書のサインをする時がくるとは夢にも思わなかった。赤ちゃんや家族のために中絶を選んだ人もいれば、望んだ妊娠ではなかった人もいるのだと、しみじみ思った。色んな理由で、この同意書の説明を受ける人がいるんだと感じた。

 

 そして、手術・処置の同意書。輸血同意書。

 中絶するかしないか悩んでいた時に調べてはいたのだが、改めて12週を超えると手術というよりも普通のお産と同じ形で産む流れだと、説明される。

 入院期間は、早くて2泊3日を予定。1日目に子宮頸管を広げるためラミナリアという医療機器を挿入する。次の日から陣痛促進剤の膣坐剤を3時間毎に入れ、早ければお昼には出産できるとのこと。何もなければ翌日の診察をして退院。しかし、子宮内に胎盤が残っていたら、感染してしまう可能性があるため子宮間内容除去術という、掻き出す処置をするため、退院が延期になる可能性がある。

 また、お産であるため何か問題があれば大出血のリスクもあり、輸血が必要になるかもしれない。

 

 同意書はその場でサインするのではなく、持ち帰ってちゃんと読んでから家で書くことにした。

 現在はコロナにて家族の立ち会い出産は基本禁止にしている。しかし、今回は例外で夫だけ立ち会い許可が出るかと、LDRという個室を準備できるか病棟の師長さんに相談してくれるとのこと。

 夫が仕事を休みやすいであろう木曜に出産できると期待し、入院予定は7月20日水曜の午後に決定した。

 

 全体的な話が終わり、B先生が姿勢を整えて向き合ってくれる。

 

「今回はこのような形での入院になってしまいますが・・・前回も言った通り、この病気は誰のせいでもありません。決して、お父さんとお母さんを責めないでください。お二人のご決断は、間違ったものではないです。お二人でとても悩んだ結果で・・・赤ちゃんのことを考えた、素晴らしい決断だったかと思っています」

 

 B先生が、言葉を選びながらゆっくり話しかけてくれた。この先、先生のこの言葉が、これからずっと私の支えになる。

 また私は泣いてしまった。

 

「・・・ありがとうございます。よろしくお願いします」

 

 先生にお辞儀をして、そのまま助産師さんにバトンタッチとなる。入院に向けて準備するものの説明と、入院中の処置の流れについて説明があった。

 

 そして『赤ちゃんをお見送りするために』というパンフレットを受け取る。

 

 そこには、赤子を亡くした親の心の変化についての説明が書かれていた。

(相反する感情の波)(孤独)(怒り)(自責感)(比較)(嫉妬)

身近な人間が亡くなった時、心の整理がつくまでに4年半の歳月がかかるとのこと。感情の浮き沈みが激しく、自分を責めたり、他人に八つ当たりしたり、悲しみにくれたり、赤ちゃんがいる友達に嫉妬したり。

 そんな精神状態に陥るとのこと。それは心だけでなく、食欲不振や睡眠障害につながり、体にも悪影響を及ぼす。

 

 でも、これは当然の感情なのだと。決して間違った感情ではなく、誰もが経験するものだとのこと。1人で溜め込まないで、辛い時は必ず誰かに相談するよう助産師さんより説明される。その誰かは、病院スタッフでもいいし、両親でもいいし、信頼する友達でもいい。同じ経験をした人と話し合うことも大事なことだと書いてあった。

 

 「1人で抱えない」ということを、わかってほしい。

 

 看護師の私も、このことを色んな患者や家族に説明してきた。だから、多分飲み込みやすかったというか、理解が早かったと思う。それが良かったのか悪かったのかはわからないが、私は自分だけじゃなく夫にこのことをしっかり説明しなければ、と思った。

 赤ちゃんの死は、母親に目を向けやすいが、ショックなのは父親も同じだ。

 

「話を続けても、大丈夫ですか? 少し時間あけましょうか?」

「いいえ、大丈夫です。お願いします」

 

 助産師さんが気を遣っているのが、わかる。多分、途中でこれ以上聞きたくないと拒絶する母親もいるのだろうと感じた。子供の死を受け入れるのは、本当に難しいことだから。すぐ未来の話なんて、気持ちは切り替えられないだろう。

 

 そして、最後のページには『赤ちゃんとの思い出』という項目があった。病院側が赤ちゃんのために両親ができることを手伝えるリストだ。

命名

・沐浴

・母児同室

・臍の緒

・写真撮影

・手形、足形

・抱っこ

・手紙

・ネームバンド、ベッドネーム

 

他にも授乳や、爪切り、おもちゃでベッドを飾るなんて項目もあった。

 

 どこまでできるのか、考えた時にまた泣きそうになった。

 その時私は、「医療従事者なんだから、しっかりしろ」と自分に言い聞かせて泣くのを我慢していた。どこかで強がっていたのかもしれない。

 

「すごい、こんなこともできるんですね・・・」

 

 あんまり声を出すと、涙が溢れそうだったので、感想じみたことしか言えなかった。

 

「おうちに帰って、またお二人で赤ちゃんに何を準備したいか、考えてきてください。ここに書いていないことも、入院の時におっしゃっていただければ、できる限りご希望に添えるようスタッフがお手伝いします」

 

 その時の助産師さんは、本当に白衣の天使に見えた。

 私は頷き、夫と診察室を出た。

 

「また、家に帰ったら色々と話そうか」

「おう」

 

 その日の夜は、2人で赤ちゃんの名前をどうするか、相談した。