妊娠から死産まで17「心拍停止・入院初日」
「心臓は、止まっていますね」
経腹エコーを見ながら、先生がゆっくり話してくれた。
「そうですか・・・」
B先生の言葉に、私は思わずため息をついた。ショックではなく、安堵のため息だった。
また目の前が涙で滲んだ。
「最後の診察から2週間以上空いていますが、あの日から大きさが変わっていないです。いつ止まったか、正確な日にちはわからないですが・・・。最後の心拍を確認した後なのか、それともコロナ療養中の時だったか・・・」
先生は私に視線を向けて、にこっと笑ってくれた。
「もしかしたら、最後は一緒に居たかったのかな」
優しい言葉にもう我慢できなかった。
涙はもう抑えられなかった。
「・・・はい。私も、そう思います」
鼻水と涙でぐちゃぐちゃになりながら、私も頷いた。
お腹の中で心拍が止まったことが嬉しかった。心臓が止まる最期まで私のお腹にいてくれたと、愛おしさが溢れた。
心臓が動いた状態で出産して、心臓が止まるまで看取るなんて、地獄でしかないと思っていたから。
もし今回の病気が染色体異常で、重度の合併症を持っていたとしたら。経済的な理由で中絶を選択していたら、やっぱり精神的におかしくなると思った。罪悪感に押しつぶされると思った。
看取る覚悟なんて、やっぱり難しい。
生死に関わる病気を持って出産したとして、我が子を助けたいと思う気持ちもわかる。手術を繰り返して、挿管して、人工呼吸器をつけて。何としてでも助けてあげたい、生かしてあげたいと思う気持ちも痛いほどわかった。
それぐらい、愛おしい存在なんだと思った。
産むか産まないか、色んな人が色んな理由で悩む。
産みたくても産めない人もいるし、最後まで子供の生きる力を信じて、産む人もいる。どっちも、間違いじゃない。正解はないと思った。
それは、自分や夫、赤ちゃんも含めて「家族」が幸せになるための選択だから。
私1人が突っ走って、病気を持った子供でもいいからと、出産をしていたら。夫の心情も理解しないで、無理矢理出産していたら。
多分夫と別れてしまったかもしれない。
「何とかなるよ」はあまりにも無責任な言葉だったと反省した。
それぐらい、妊娠出産は「親の覚悟」が必要だと思った。
どんな子でも愛せるのか、2人の意思が合わないとやっていけない。
家族がすれ違うのが、一番辛いのは赤ちゃんだと思った。
うちの子は、私達夫婦が離婚しないように、選んでくれたのだろうか。私達夫婦を絶望させないように、自ら命をたったのだろうか。
自分勝手な意味づけだが、この時は我が子に心の底から感謝した。そして、心の底から申し訳ない気持ちが込み上げてきた。ちゃんと、体を作ってあげられなくて、ごめん。元気に産んであげられなくて、ごめん。
「うう・・・」
泣きじゃくりながら、そのまま私の処置が始まった。
子宮口を広げるために、ラミナリア(はっきり覚えていないが、ほかの名前だったかも?)という棒状の医療機器を膣に入れていく。私の子宮頸管はかなり固かったらしく、先生も挿入に手こずっていた。
痛みに強い方の私でも、かなり痛かった。大きく深呼吸をしながら、力を入れないようにするが、下腹部の鈍痛がすごい。細いタンポンを奥までグリグリ入れて、トンカチで叩かれるような感覚だ。
「ごめんね、痛いよね」と何度も先生も謝りながら処置していく。道具を追加したり、助産師さんもバタついていた。
スムーズに処置ができずめちゃくちゃ申し訳なかったが、痛みと感情の起伏が激しすぎて涙が止まらなかった。助産師さんの「色々考えちゃうよね」「痛いよね、大きく口で息吸って」「もうすぐ入りそうだからね」と声をかけ続けてくれたことが救いだった。
なんとか処置が終わり、涙を拭きながら個室に案内される。
「す、すごく痛かったです・・・」
「いや、そうですよね。あれはかなり痛いと思いました」
助産師さんが同情してくれた。
私の部屋は大部屋から離れた個室だった。新生児室からも離れていたので、赤ちゃんの声も聞こえない。同列の部屋にも患者はいないようで、すごく静かだった。地元の総合病院で働いていた時を思い出し、久しぶりの病室に懐かしさを感じる。
パジャマに着替えて荷物を整理し、受け取った産褥セットの中身を確認した。分娩着や、産褥シーツ、サイズの違うナプキンや処置用シーツなど。処置した時に少し出血してしまい、早速ナプキンをつけた。ナプキンをつけたのは、久しぶり。
生理以来の出血だ。膣から出る血液を見て、また虚しい気持ちになり、トイレで少し泣いてしまった。