ヨシムラの日常日記

自分らしく、ゆっくり歩いて行こう

妊娠から死産まで18「我が子が教えてくれたこと」

 

 

 処置をして身支度が全て終わり、担当の助産師さんが2人来てくれた。

 ラミナリア挿入の時に声をかけてくれた人達だ。

 助産師さんから入院中の流れについて再度説明を受けた。明日は朝7時から、陣痛促進剤の膣坐剤を入れていく。3時間おきに、1日4回まで繰り返すとのこと。早い人なら昼ごろには産まれるが、子宮口が開かなければ明後日に持ち越しになる可能性もある。

 夫は明日昼の仕事を休んでくれたため、19時まで立ち会ってくれる予定だ。夜はどうしても外せない仕事があり、休ませるわけにはいかなかった。なので、私は夫が仕事に行く前までに必ず産みたいと意気込む。

 

 そして、生まれた赤ちゃんとの思い出をどこまで作るか、希望を聞かれた。

 

 名前を考えてきたこと、産まれたら抱っこをしたいこと、母児同室で、夜は一緒に過ごしたいこと、手作りのお棺と、手紙を持ってきたこと。

 

 私はもらったパンフレットを出しながら希望を伝えた。

 

「沐浴はどうする? 希望があれば、一緒にやってあげるよ。あと手形と、足形も取れるけど・・・」

 

 助産師さんが提案してくれた。

 

「う〜ん、でも体的にどうしようか迷ってます。皮膚が弱いって先生に言われたので、産まれる時にちゃんと人間の形で産まれてくるかわからなくて・・・。足とか腕が取れるかもって。臓器も出てるので、沐浴もできるかどうか・・・。足形と手形も難しかったら諦めようかと思ってるんです」

 

 意外と冷静に返している自分がいた。助産師さんも、一緒に悩んでくれる。

 

「ああ、そうか。そうだよね。さっきカルテ確認させてもらったけど、確かに体の欠損がいくつかあったもんね。頭蓋骨も作られてなかったんだっけ?」

「はい。後頭部の骨が一部欠損していて、背骨も90度ぐらい屈曲してます。腹膜もないから肝臓と小腸が飛び出ていて、あと胃も出ているのかな? 心臓もかなり位置が下がって、膀胱のあたりにあるとか。片足も背屈しているらしくて・・・」

「うんうん」

 

 我が子の状態を改めて助産師さんに説明した。でも、不思議と苦痛じゃなかった。自分の子の特徴を細かく話せたのは、夫以外に初めてだった。

 

「確かにそうだね。沐浴は、産まれてからやれるか考えてみようか」

「はい。ありがとうございます」

「他に、何かやりたいことがあれば、何でも言ってね。写真はどうしたい?」

「写真も迷っていて・・・。どんな姿で産まれてくるか予想ができなくて、やっぱり産まれたあとに撮るか撮らないか決めようと思っています」

 

 どんどん誘導してくれるので、すごく話しやすかった。火葬は、病院と繋がりのある業者に依頼したいことも伝えた。火葬のあとは、しばらく遺骨は自宅に置いておきたいこと。1ヶ月ほど過ぎたら、私の実家のお墓に入れる予定のこと。あそこなら、私の妹と、優しかった祖母が眠っているので、安心して眠れるはずと、伝えた。

 

「わかった。葬儀業者に、今日電話してみるね。話は今日聞いておく?明日旦那さんが来てからの方がいいかな?」

「ん〜・・・もし今日来てくれるなら、私が先に聞いて、また明日来てもらうことは可能ですかね?」

「全然大丈夫だよ」

 

 葬儀屋は今日の夕方に一度来てもらうことになった。患者として葬儀者と関わるのは初めてだ。とりあえずどのような流れで、手続きもどうなるのか、費用もいくらか把握したかった。それを聞いた上で夫にも相談しようと考える。

 

 一通り話が進み、助産師さんが私の顔色を見ながら声をかけてくれた。

 

「色々、考えるの辛かったでしょ? ごめんね、看護師さんだからさ。皆が皆そうってわけじゃないけど、どこかで強がったりしちゃう人もいるから・・・。旦那さんとも、よく話し合えた?」

 

 助産師さんの質問に、私は少し考えた。でも、すぐに答えが出る。

 「看護師」だから、強がっていたところは、絶対あった。「自分」に戻ってしまえば、また感情がコントロールできなくなり、泣きじゃくって、落ち込んで、自分を攻めて、自分の殻に閉じこもって、現実と向き合えなくなると思っていたから。

 だから看護師の自分が第三者になって、冷静に自分の状況を分析しないと心がダメになると思った。強がって、夫の前で泣き喚くこともしなかった。

 

 でもそのおかげで、気づけたことは沢山ある。

 

「そうですね・・・。私は、今訪問看護をやっていて、お看取りが多い終末期の人をよく見ているんです。だから、一般の人よりは『死』が結構身近なものだと思っていたんですが…」

 

 そこまで口にして、我慢していた涙がまた出てきた。

 

 

「死ぬことは、誰もが経験するものだからって、どこかで慣れてしまった自分がいたんです。でも、今回自分が妊娠して、出産は当たり前じゃないと思いました。無事に産まれるって本当に奇跡なんだなって感じて・・・改めて命の重さを知ったというか・・・」

 

 延命治療を諦め、看取ることを選んだ人達が浮かんだ。

 「もう十分生きたよ」「精一杯頑張ったね」

 そんな簡単な思考で、終わりにしちゃいけない。この世に産まれてきたことが、奇跡なのだと思った。生きることを、当たり前にしてはいけないと思った。一人一人に、尊い命がある。色んな人生があって、価値観があって。「その人」が存在する。

  自分もそうだし、夫もそうだし、家族や友達、他人だってそうだ。

 どんな人もこの世に存在することが、奇跡。大事にしなくてはいけない。相手を敬うことを、忘れてはいけない。

 

 「命の大切さを、この子が教えてくれたんです」

 

 30年かけてやっと、「命の意味」を深く考えることができた。看護師をしていて、今まで気づかなかったことが、恥ずかしいと思った。こんな辛い経験でしか、気づくことができない自分が情けないと思った。

 お腹を触り、また涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになった。

 助産師さん達は真剣に聞いてくれた。

 

「夫は、医療従事者ではありません。命について話し合うことなんて、無縁だと思っていたんですけど・・・でも、今回の妊娠で産むか産まないか話し合って、お互いの価値観を確認することができました。普段なら絶対にしないような話題で、逆にコミュニケーションに繋がったといいますか・・・」

 

 夫は、今回の妊娠は諦めることには賛同していること。またご縁があるなら、次の子に期待したいと思っていること。そのことに対して、私に申し訳ないという気持ちも抱いていること。

 夫の知らない一面を見られた。親の覚悟や、子供の命の重さを2人で話し合えた。

 泣きながら助産師さんに伝えると、質問された。

 

「そっかそっか。・・・自分のこと責めなかった? 沢山、泣けた?」

 

 話しているうちに、今までの出来事が自分の中で整理できる。

 

「最初は自分のことも責めました。一人でずっと泣いていました。でも、泣いてるだけじゃ何も変わらないですし、今はこの子が安心できる環境づくりをちゃんと整えなくちゃいけないと、前向きに考え始めています」

 

 後悔したり自分を責めながら、それでも自分の子の死と向き合いたかった。完全な前向きには決してできないが、そうやって人は大切なひとの死を受け入れていく。

 私の話に、助産師さんは静かに傾聴してくれた。

 

「そうか。ちゃんと受容の段階、踏んでるね。教科書通りだよ」

 

 助産師さんがポロッと出た感想に、私は思わずフッと吹き出してしまった。

 

 これはきっと、同職者じゃないと理解できないものかもしれない。医療従事者だからこそ、客観的に「自分の家族の死」と「向き合おう」と思えたのだろう。我が子が「生きられない」という現実に「こればかりは、どうにもならない」と諦められたのかもしれない。だから、泣きながら「次」を考えられたのかもしれない。この子のために、何ができるのか、目を瞑りたくなるような現実と、「向き合わなくちゃいけない」と自分の尻を叩いた。

 

 無意識に教科書で学んだ『死の受容プロセス』を経験したのだと、後になって気づく。

 その価値は、これからの私の人生を変えてくれるかもしれない。

 看護師で良かったと、ほんの少しだけ思えた。

 

 私は手作りの棺桶を出して、我が子をここに入れてあげたいと説明した。

 手作りのお棺に、助産師さん達はすごい、と褒めてくれる。

 

「これなら絶対、寂しくないね」

 

 助産師さんの強い言葉に、私は泣き顔から少し笑顔になった。