妊娠から死産まで21「会いたかった赤ちゃん」
自分でも呆気に取られていると、すぐに先生達が集まってきた。A先生がガウンを着て、医師と助産師合わせて5〜6人がエコーや諸々物品を準備していた。
もう一度ナプキンの中身を確認したFさんが、慌ててナプキンを閉じた。
「先生、産まれてる!」
「了解」
A先生がすぐに反応している姿が、見えた。
そこからの記憶は、正直曖昧だ。私の下半身に人が集まり、色々と処置をしている。
「◯◯さん、赤ちゃん出てきましたよ〜!」
「今体重や身長を測定しますね」
「良かった、ちゃんと綺麗な形で産まれてきたね」
色んな人から色んな声をかけられた。
「足が・・・」
「今胎盤出ますからね〜」
「まだ胎盤残ってるかも」
「感染症になる可能性もあるから、取り除けるところは取り除いて・・・」
「抗生剤出しておいた方がいいかもね」
そんな会話や話声が聞こえたが、この時も、処置がかなり痛くて私は冷静じゃなかった。
あとで聞いたが、胎盤が脆いため子宮の中でまだ残遺があり先生がかき出していたとか。終わったと思ったのに、麻酔もなくまた痛い処置の始まり。めちゃくちゃ下腹部を押されて、子宮の中を弄りられ、また鈍痛が襲ってきた。
「はい、大きく深呼吸してくださいねー!」
「力抜いて、力抜いて、もう少しだからね、頑張ろうね」
「あと少しですよー!」
出産後は悲しみと喪失感を味わうと思っていたが、そんな暇はなかった。
ただただ、痛みに耐えるのみ。大きく深呼吸を繰り返して、力を抜いて。Fさんに肩や腕を摩ってもらい、女医さんからねぎらいの言葉を受け続ける。私は呻きながらめちゃくちゃ顔をしかめた。この時、心の底からマスクをしていて良かったと思う。
気が遠くなるような痛みに耐え続け、早く終われと何百回と唱え続け・・・
「はい、終わりました。お疲れ様でした」
「赤ちゃんも、お母さんも頑張りましたね」
やっとのことで、処置が終わった。
思ったより時間はそこまでかかっておらず、数十分しか経っていなかった。
先生達が片付けに入り、Fさんから「今赤ちゃん綺麗にしてますから、もう少し待っててください」と説明を受ける。
そして、子宮収縮剤の小さい点滴が投与された。
シャワー室にいた夫を呼び出し、終わったことを伝える。
「・・・仕事、何時だっけ。間に合う?」
「19時にここ出れば、ギリギリ間に合う」
この時の時間は18時過ぎていた。
赤ちゃんの対面と先生の説明があるから、まだしらばく待つことになるだろうと夫に話す。
すると、子宮収縮剤の影響か、また下腹部の鈍痛が襲ってきた。
「痛い、痛い、痛いーーー! イタタタ、痛い痛い痛い!」
「え、今痛いの?」
「なんだこれ、痛い! 今が一番痛い!!」
子宮を縮めている作用が、入院中の処置で一番痛かった。個人的にラミナリアよりも痛かった気がする。大人しかった私が、急に騒ぎ始めるものだから、さすがに夫が腹部を摩ってくれた。赤ちゃんがいなくなった後に陣痛のような痛みがくるなんて、なんて切ないのか。
「痛い、痛い、痛い。うう〜〜〜痛いよお・・・」
「誰か呼ぶ?」
「呼びたい」
鎮痛剤が欲しくてナースコールを押そうか迷ったその時、A先生と、一緒に入ってくれた女の医師(多分B先生の代わりにA先生を指導している方)が入ってきた。
「お疲れ様でした。赤ちゃんは今綺麗に体を整えています。やはり大きさは、今の週数にしては、小さく産まれてきてしまいました。診察からずっと伝えている通り、臓器がいくつか体から出ている状態なのですが・・・赤ちゃんと、お会いになりますか? お母さんの中には、対面を拒否される方もいますが・・・」
「会います。会わせてください」
A先生の説明に、私は即答で答えた。「今夜は母児同室もしたいです」と付け加える。あまりにも早く答えるものだから、先生は少し驚いた表情をした気がする。
「わかりました。では、赤ちゃんと会って、子宮収縮する点滴が終わったら元のお部屋に戻りましょうね」
A先生から、無事に赤ちゃんと胎盤は出せたこと。出血量もそこまで多くないこと、でもまだ少しお腹に遺残がある可能性があり、明日また診察すること。そこで問題なければ明日には退院になることを説明を受けた。
しかし、この時は痛すぎて全く内容が入ってこなかった。
「先生、今が一番お腹痛いです・・・」
「あ、そうですよね。収縮の薬使ってるからだと思いますが、痛み止めも使えますので、助産師さんにお願いしましょうか」
「お願いします」
今すぐにでも鎮痛剤が欲しい、と思っていたその時。
Fさんが入ってきた。Fさんがガラガラとベビーコットを運んできたのを見て、私は一気に大人しくなる。
「お待たせしました。赤ちゃんお連れしましたよ」
白いタオルに包まれた我が子を抱っこしたFさんと、目があった。
私は少し身を固くしてしまった。まだ起き上がれないため、見上げた状態で白いタオルを見つめる。
「体は崩れることなく、無事に産まれてくれました。小ちゃくて可愛い・・・男の子ですよ」
Fさんが私の胸に赤ちゃんを渡してくれる。
我が子を見た瞬間、不思議とお腹の痛みが消えた。両手の手のひらに収まりそうな赤い体、小さい手足。真ん丸の大きい黒い瞳に、ぺちゃっと潰れた鼻。足の間には、小さい小さい男の性器がちょこんと、ついていた。
子供と初めて対面して、自分がどんな言葉をかけるのか想像がつかなかったが、思っていた以上に高ぶった声が出る。
「あああ〜〜〜やっぱり男の子だああああ」
震える声と同時に、大量の涙が溢れた。
男の子な気がすると、ずっと思っていた。なんとなく、感じていた予感が当たった。母親の勘が働いたことが、この瞬間すごく嬉しく感じた。
名前は大和(やまと)、赤ちゃんドレスは黄緑で決定だ。
そう決まったことが、嬉しくて。それと同じくらい、悲しかった。
この時の感情は、とても複雑だった。嬉しくて、悲しくて。でも「苦しい」という感情は無かった。
しばらく我が子を見つめ、愛しい気持ちが溢れ出る。飛び出ている脳と臓器は、ガーゼとタオルで助産師さんがうまく見えないように隠してくれていた。
奇形児だろうがなんだろうが、関係ない。ちゃんと「人間の姿」だった。可愛いと、素直に思った。
「◯◯さん(夫に名前)、抱っこする?」
すぐに仕事が待っている夫を思い出し、私は鼻を啜りながら問いかける。
「うん」
「夫にも、抱っこしてもらえますか?」
Fさんに息子を渡し、Fさんが夫に息子を渡した。
タオルごと受け取った夫は、しばらく息子の顔を見つめる。クールな彼のことだから、特にリアクションをすることなくFさんにすぐ返すと思っていたが・・・予想外だった。
夫が、泣き出したのだ。
「ぐすっ・・・うう・・・」
ティッシュを取って涙を拭く夫に、私は呆気にとられた。夫と出会って、彼が泣く姿を初めて見た。
その姿は、本当に「父親」だと思った。
また色んな感情が込み上げてきて、私もつられて泣いた。
先生二人とFさんに見守られる中、私達親子3人が初めて揃う。
「先生・・・」
静かになった部屋で、私はA先生に声をかけた。
「なんでしょう?」
「心臓も私のお腹の中で止まってくれて・・・結果、これで良かったんじゃないか、と思っています。本当に、ありがとうございました・・・」
か細い声で、そう伝えた。
本当に、これで良かったと思った。これ以上、できることは無かったと思った。
A先生は女医さんと目を合わせて、頷いてくれた。
「そうですね。お二人が決断したことは、決して間違いでは無かったと、思います。本当に、素晴らしい判断だったと、我々は思います。赤ちゃんもお母さんも、本当に良く頑張りましたね」
B先生と同じことを、言ってくれた。女医さんも何度も頷いてくれる。
心臓がまだ動いた状態で、母体保護法の経済的理由で中絶を選んだ結果だとしても。最期まで、心臓が止まる瞬間まで看取った結果だとしても。
この選択肢が正しいかなんか、誰にもわからないし、誰にも評価はできない。どの選択肢を選んだって、将来ずっと自分を攻め続けることもあるかもしれない。
でも、自分達が悩んで悩んで、泣きながら、苦しみながら家族のために出したこの結果は、絶対に『間違い』ではない。
そう信じたいし、信じるしかないのだ。
小さな命が宿ることは、本当に奇跡だから。
その奇跡とどう向き合うのか、どう生きていくのか。それを決めるのは、何も知らない他人や、評論家や医療従事者でもなく、家族だと思うから。
令和3年8月3日 17時40分
16cm 、56gの小さな男の子。
広く大きな心を持ち、和やかな子でありますように。
『大和』
そんな思いを込めた名前が、息子に捧げる最初で最後のプレゼントになった。