あとがき
妊娠から死産まで完結しました。
まだほんの1ヶ月前の出来事です。記憶が新しいうちに自分の気持ちの整理と振り返りのために、この話を書こうと思いました。
勢いで書いているので誤字脱字と変な文章多いと思いますが、それは後々また読み返して修正します(笑)
私は「中期中絶」を決意しての「死産」だったため、万人受けはせず、世間では批判されるような表現を書いているかもしれません。その自覚は、あります。
その中で、自分が感じたことを思いのままにこのブログに残しました。
お腹の子に重い病気があるとわかった瞬間。
きっと色んな人がショックを受けて、泣き崩れたかと思います。
私の場合は、子宮血腫、NT肥厚、そして脊椎異常の指摘がありました。
受ける予定はなかった遺伝子カウンセリングを受けて、染色体異常の子供の特徴を教えてもらいます。最初のカウンセリングでは、「検査をするかしないか」までを確認しますが、検査後はどの妊婦にも「妊娠を継続するか」という質問が必ず待っています。
染色体異常の病気も、合併症の種類によっては軽症のものもあり、長年生きられる子もいます。何回も手術をすれば、生命に関わる臓器障害も完治することもあります。検査を重ねることで、自分の子がどんな障害があって、どんな治療が必要で、どんな医療ケアが必要とされるのかを判断していきます。
しかし、それは「産む」選択肢を持った人達が進む未来。
私は最初、検査を拒否しました。中絶を考えること自体が嫌だったんです。
「どんな病気や障害を持っていても、絶対に産みたい」と。
しかし、それはあくまで「私」の意見であり、夫は「病気の子は堕して欲しい」と反対の意見を訴え、すれ違ったこともあります。私の実母も「ちゃんと考えなさい」と中絶も視野に入れるよう言われました。
もし夫や実両親、義両親が「どんな子でも産んであげよう。皆で育てよう」と言ってくれたら、こんなに苦しんで悩む必要は無かったかもしれません。でも、それは本当に限られた、恵まれた環境が揃ったことで成立する現実でした。
金銭面、家族のサポート体制、仕事状況。そして母親と父親、どちらも「どんな子供でも育てていきたい」という受容があるのかどうか。我が子が「産まれてきて良かった」と思える環境かどうか。
…残念ながら、今の私達夫婦には、その環境は難しいと考えました。
結果、息子は染色体異常ではなくLBWCという特殊な病気が判明したわけですが。多発奇形を起こしており、心臓は動いているも、予後不良と診断を受けます。
そこで、また違う選択肢を突きつけられました。
「心臓が動いているが、まだ妊娠を継続するか」
この問題、どの人も悩むのではないでしょうか。
小説では「中絶」に対して前向きな感じで書いていますが、かーなり毎晩悩みました。
「染色体異常だったらどうする」から「心臓は動いてるけど、この子は生きられない」に問題が変わったんですよね。全く違う視点に切り替わるも、どっちも共通するのは「赤ちゃんの命を諦める」という事実でした。
「産むか、産まないか」
「いつまで妊娠を継続するのか」
この2つの問題と立ち合い、当事者となった私は本当に頭を抱えました。
子宮の外では「死」が決定しているのに、子宮の中では「生きている」から、どこまでその子を「生かす」のか、それは本当に悲しく、考えるだけで辛い課題です。
まだ産まれてもないのに、死を待つしかない赤ちゃん。十分人生を全うして、死を待つ高齢者とは、また死生観が異なることを、知りました。
自分に置かれた立場を考えた結果、私達夫婦は2回も自分の子を殺す決意をしたことになります。
本当に、精神的に狂うかと思いました。実際、少し狂っていたかもしれません。
この時だけは、自分が看護師で良かったと思っています。医師や夫、職場の前では看護師モードになるのでちゃんと根拠や論理的な思考で平然としていられたのですが、一人になると罪悪感に襲われて、毎日隠れて泣いていました。
これが、中期中絶の「残酷さ」だと知りました。
望んだ子を諦めることは、決して簡単な選択ではありません。
しかし自分の置かれた現状を理解し、病むおえないと切り替えるしかないのです。
私にとって、夫にとって、息子にとって。
「私達家族が悩んで決めた、私達の幸せのため」の、選択です。
そう思わないと、やっていけないのです。
このことを他人に批判されても、私は仕方ないと思う。私達の苦難を共感することは、きっと難しいと思うから。かと言って、同じ境遇をすればいい、とは思えない。むしろ、こんな悲しい立場になる人が増えることを、望みたくない。
なぜ、その選択をしなくてはいけなかったんだろう?この人にはどんな背景があったんだろう?と深く考えられる人が増えることを、望みたい。
中期中絶を覚悟した上で、入院をした結果。
息子は心拍停止と診断され、自然死産という形で産まれました。
中絶を覚悟した上での死産だったため、私は罪悪感が少しだけ、おりました。
これは、息子が私達の悲しみを少しでも軽くするために、選んでくれたのでは…と思っています。
結果、私は今「後悔」はありません。
どんな形のお産になったとしても、息子を心から愛していたと、胸を張って言いたい。
そして、またご縁があるなら、子供がほしい。
その子がどんな病気で、どんな障害で、どんな壁があったとしても。
私達はまた「後悔しない」選択を、悩んで悩んで、選んでいくと思います。
また「奇跡」と向き合っていくと思います。
笑い合える、泣き合える、そんな家族になれると信じて、生きていきます。
訪問看護をしている利用者さんの中で、90歳の認知症の女性がいました。その方は、1回思い出すと、ずっと流産と死産した経験を繰り返し話す人でした。
お米の洗い方や、住所や電話番号は忘れているのに、子供のことは覚えているんです。子供のことをいつまでも覚えているなんて、本当に優しいお母さんなんだなって、感じました。
私も、そんなおばあちゃんになりたいなんて、今なら素直に思います。
妊娠と死産まで =END=