ヨシムラの日常日記

自分らしく、ゆっくり歩いて行こう

中期中絶を選択すること②

 

 私は息子を失ってから、TBSドラマ『コウノドリ』を見始めました。

 

 シーズン2で出生前検査をした2組の夫婦の回があります。

 1組目の若い夫婦は、気軽な気持ちでNIPTを受け、ダウン症と判明。確定検査も受け、中絶を選択するも、処置のギリギリで中絶を拒否して育てることになった夫婦。

 2組目は年配の夫婦で、上に一人子供がいました。個人でお弁当屋を経営しており、手がかかってしまう障害児が産まれると、店の経営が厳しくなるという経済的理由がありました。あえて病気がわかったら中絶する覚悟で検査を実施し、ダウン症と確定。泣きながら中絶をした夫婦です。

 

 この2組の夫婦、どちらも中絶を検討するんですが、どっちも、子供に愛があります。

 

「中絶したくないなら、なんで検査なんかするんだ」

「なんで中絶したのに、母児同室にするのか」

 

 ドラマの中でも、新米医師が中絶を選んだくせに、的な疑問に思うセリフがあるんですが、これは本当に、当事者の母親じゃないとわからない感情なんだよな…と感じました。

 (めちゃくちゃ考えさせられるので、ぜひ見ていただきたい)

 

 他人から見たら出生前検査なんて、身勝手な検査かもしれません。

 この世にいくつもの病気がある中で、染色体異常しかわからない検査です。染色体以外の病気になるかもしれないし、産まれた後だって病気になるかもしれないのに。100%健常児である保証なんて、どこにもないのに。

 

 

 

 私も、遺伝子カウンセリングを受ける前は、出生前検査は全く知識がありませんでした。

 

「なんでこの検査をする必要があるのか?」

「なんで命の選別をしなくちゃいけないんだ?」

 とかなり疑問に思っていました。

 

 しかし、この検査を説明され、染色体疾患の「合併症」について知り、医療児ケアを具体的に想像できるきっかけになったと思います。

 

 染色体疾患は、生命に関わる重度の疾患であり、医療が必ず伴う怖い病気です(※中には生命に問題のない子も稀にいます)

 

 「障害児だから中絶する、しない」で終わらせてしまう薄っぺらい話ではありません。

 

 

 染色体異常は21トリソミー(ダウン症)を一番に思い浮かべると思いますが、染色体疾患の中で53%が21なだけであって、13・18トリソミーや性染色体数的異常、その他の珍しい染色体疾患など実際は多くの種類の疾患があるそうです。

 

 ダウン症は、テレビで芸能人のご家族が出演したり、街中で見たりと結構身近な存在だったりしたので、私はあまり抵抗は無かったんです。特徴がある顔立ちだが、50〜60歳まで寿命が伸びて元気に生活している人もいると。

 しかし心疾患が50%、消化菅奇形が10%、甲状腺疾患や耳鼻科疾患、眼科的疾患があったりと、かなりの数の疾患が合併する可能性があり。心疾患も重度になれば生命に関わるものもあると、知りました。

 

 そして、18・13トリソミーの資料を見た瞬間、私はかなり頭を抱えました。

 

 18トリソミーは、呼吸障害、摂食障害が特徴であり、心疾患が90%、消化管奇形や関節拘縮が合併。気管挿菅や呼吸補助が必要であり、50%が1ヶ月以内、90%が1年以内で死亡することが多い。

 13トリソミーも、18と同様に呼吸障害と摂食障害を合併するため人工呼吸器は必須。心疾患も90%、全前脳胞症、多指趾症、口唇口蓋裂、眼の病気などを合併。生存率は90%の確率で1年以内。

 

 

 医師からは、確率が高いと言われる3種類のトリソミーの説明を受けました。

 

 

 ずっと「どんな病気や障害を持ったとして、絶対に産んで育てる」と思っていた私の心が、一気に打ち砕かれたというか、一気に現実に戻されました。

 

 「我が子と親の負担が、あまりにも大きすぎる」

 

 素直に、冷静になった途端感じたことです。

 

 心疾患の中でも、心室中隔欠損、心内膜欠損、動脈菅開存など、心臓手術が必要になってくること。手術をすれば完治することもあり、希望もあること。しかし何回か手術を繰り返す必要もあり、合併症の数によっても、中には手術中に死亡するケースもあるとか。

 食道閉鎖症の場合は、どうしたって経管栄養が必要。母乳やミルクだってチューブから注入しなくてはいけない。

 そして、人工呼吸器をつけた場合、呼吸状態、酸素量のこまめなチェック、カニューレの管理、吸引などを頻回にしなくていけない。少しでも痰が詰まってしまえば、我が子は窒息してしまう。

 

 

  全ての合併症が起こるわけではない、と説明があるも、医療児の我が子を、私達夫婦が幸せにできるかどうか、という問題に直面しました。

 

 

 13・18トリソミーでも、数年長く生きられる子もいる。しかし、生きられない子もいる。家に帰れず、ずっと病院で過ごして、色んなチューブや点滴につけられた状態で。異物が多く、肺炎や敗血症などいつでも命に関わる感染リスクとは隣り合わせ。抱っこをするのも難しくて、大人でも悲鳴を上げるような大きな手術をして。

 そのまま病院で亡くなってしまう場合だって、ある。

 

 それでも、この世に生まれたことに感謝をし、頑張って生きて欲しいと願い、育てる覚悟をしたとしても。

  

 それが、果たして我が子の幸せなのだろうか?

 産まれて間もない我が子を、どこまで頑張らせればいいのだろうか?

 どこまで生かせばいいのか?

 

 やっぱり、答えのない問題に、頭を悩ませます。

 

 

 

 命を無事に取り止め、家に帰れたとしても、課題はとても多いです。

 

 私達夫婦の両親はどちらも遠方であり、育児介護を手伝ってもらうことは諦めていました。引っ越しをすると言っても、夫の仕事上、今の土地から離れることは困難。

 また、私が退職をして育児につきっきりになったとして、収入が減ってしまっては満足に在宅サービスも受け入れられないと思いました。

 治療費や入院費だって馬鹿にはならない。高額医療費制度と民間の保険を利用したって、自費は絶対にどこかで発生する。退院後も、在宅サービスは無料ではないから。

 医療ケアを見てくれるデイサービスや保育園も見つかるかどうか保証はない。

 

 ただでさえ、健常児だって目が離せないというのに。

 成人した人間の医療ケアだって、スタッフの交代があるから成り立っているものなのだ。

 無事に帰れたとして、医療児ケアは絶対に親にとっても、子供にとっても、身体精神的に過酷なものだと、すぐに実感しました。 

 

  

 これが、現実です。

 決して、綺麗事では語れない。

 

 

 これだけ、重たい病気が隠れている染色体疾患。

 それを知るための出生前診断

 しかし全部が全部、その子に合併症が起こるわけではないため、我が子がどこまで治療を必要とするのか、どこまで生活できる子なのか、様々かと思います。

 

 

 日本では任意の検査ですが、海外ではほ出生前検査を保険適応とし、義務にしている国もあるとか。

 

 

 コウノドリで、ダウン症と確定して中絶を決意した母親は、むしろ現実を見て苦渋の決断をしたのでは、と私は感じました。

 この結論に、正解はありません。

 医療従事者も、その人を責めることはできない。

 中絶はあくまで「選択」でした。

 

 コウノドリは原作が漫画なのですが、実際にあったエピソードを作者が医師や助産師に取材をして練った物語なので、かなりリアルです。

 

 

 望んだ命を中絶することを「最低な行為」「母親失格」と批判する声は沢山あります。

 しかし、中絶後に泣きながら我が子を抱きしめた母親は、その子を愛していました。

 

 望んだ命。

 病気や障害を持っていたって関係ない。

 どんな子だって、産んであげたい。

 どんな子だって、育てたい。 

 

 でも、それが叶わない人達だって、沢山います。 

 

 

 それは、染色体疾患だけの話ではありません。臓器がなかったり、手足がかけていたり。お腹の中ではわからない病気だってあります。

 私達が住むこの世界で、重い病気を持って生活することは、とても生きづらいから。

 綺麗事だけで、産めないのです。 

 経済力だったり、家族環境だったり、サポート体制だったり。仕事だったり。その子を豊かに育てられる環境が揃っているのか、真剣に考えなくていけない。

 

 母親は産みたい。でも父親は産んでほしくない。

 母親は産みたくない。でも父親は産んでほしい。

 

 両親のどちらかの意見を優先するのも、違います。赤ちゃんの親は片親ではなく、必ず二人です。赤ちゃんだけでなく、自分達が幸せになるにはどうすればいいのかを、どういう結果なら後悔しないのか、必ず両親が話し合わなければいけません。

 

 重たい疾患がわかって「周りが産めって言うから」なんて理由で産む方が、赤ちゃんや自分達を傷つける結果になるかもしれない。

 

 他人任せの判断ではなく、自分達で選択するから意味がある。

 逃げないで、ちゃんと「命」に向き合わなくちゃいけない。

 

 薄っぺらい情報だけで叩いてくる他人は無責任です。経緯も、その人の背景も知ろうとしないし、胎児や母親のリスクもわかっていない。そんな無責任な人達の批判や反論を真に受けるのは、ただの時間の無駄。

 中絶は「正しい」「正しくない」で、他人が自分優位で評価するものじゃない。

 

 

 父親だけでも、母親だけでもない。

 両親二人が揃って「家族のために」悩んで悩んで、何度も悩んで決めたなら、それが「愛情」だと、私は思います。

 

 

 ③へ続く