ヨシムラの日常日記

自分らしく、ゆっくり歩いて行こう

中期中絶を選択すること③

 

 ここから、少し自分の話になってしまいます。

 

 

 私はどんな病気でも産んで育てる、と妊娠前はずっと前向きに考えていました。

 しかし「私だけが産みたい」では、やっていけないのだと現実を知ります。

 

 夫は「病気の子ならおろしてほしい」と言いました。

 実母も「障害児を育てるのは、大変」と言いました。

 

 助けてくれる夫も両親もいなければ、シングルマザーは難しい。

 恥ずかしながら、貯金も少ない。私の職業では、在宅勤務だって難しい。私が無理やりどんな子でも産む決断をしていたなら、夫と離婚したかもしれないですし、母親とも大喧嘩をして、孤独になっていたかもしれません。その結果、頼れる人がいなくなって、我が子を愛せなくなって、恨んで、自分も追い込んで、暗いドン底の未来もあったかもしれません。

 

 だから、どんな病気の子供だって、周りの家族が一緒に支えてくれる環境が欲しかったです。

 

 出生前診断をして、陽性の結果だとしても。または、染色体疾患以外で、重たい障害が残ると言われてしまっても。それを知った上で産む決断をした人達は、本当に恵まれていると、私は思ってしまいました。恵まれると言う言葉は、あまり適切ではないかもしれませんが…。

 産む覚悟をした人達を尊敬しますし、正直、羨ましいとも思ってしまいました。

 

 私にはお金も、家族サポートも、夫婦二人の病気の受容も、ありませんでした。

 

 

 私達夫婦の息子は結局、遺伝病とは関係ない疾患と診断されました。

 なので、遺伝子カウセリングを受けただけで、結局出生前診断は行っていません。しかし、実行していた場合、ある程度の方針を決めていました。

 

 染色体の疾患がわかったら全ての疾患で「中絶」を選択するのではなく、ある病気なら産もう、と自分達の条件を決めたのです。

 

 「合併症が少ないダウン症ターナー症候群など、長く生きられる病気なら産みたい」という意見を一致させます。

 

 13・18トリソミーでは、寿命が短い。苦しい思いをさせてしまうかもしれない。頑張って生きている子もいるが、やはり今の自分達では育てられない。経済力も、育児介護環境も、私と夫のサポート体制も、今の私達では、この病気では育てられないと判断しました。

 しかし、ダウン症であるならば。合併症も軽度で、数回で完治できる心臓の手術なら、お金はなんとか、ギリギリ用意ができるかもしれない。発達障害があったとしても、自分の足で動くことができて、寿命が長くて、生きがいを見つけることができるなら、幸せにできるかもしれない。

 

 この時は、そんな条件で羊水検査をすることを覚悟しました。

 

 

 

 また次の子を妊娠できたなら。

 私は、医師から指摘が無ければ出生前検査はしません。

(クアトロやNIPTなど確率の検査はせず、確定診断の羊水検査か絨毛検査しかしないでしょう)

 そして、もし染色体異常がわかったなら…。また、重たい病気があると言われてしっまったら、私達はどうするのでしょう。

 

 

 それは、また「その時の私達」でないと、正直わかりません。

 

 

 今度こそ、「産みたい」と思うかもしれない。

 

 死産した第一子を思い出し、今度こそ、心臓が動いているならどんな病気や奇形な姿だとしても産むと、一心不乱になって、自分の意思を貫き通すかもしれない。

 

 なかなか子供ができず高齢になり、不妊治療をしたならば。

 もう最後の子供かもしれないと言われたなら、例え予後不良と言われても、繰り返し治療を重ねて、リハビリをさせて、その子が生きられるよう奇跡を願うかもしれない。

 

 どんな病気なのか、どんな障害が残るのか。どんなケアが必要で、生きるためにどんなサービスが必要なのか。その子に向き合った、個人に合わせた育児を前向きに考えていくかもしれない。

 

 

 しかしまた「産めない」と、諦めてしまうかもしれない。

 

 余命が短いと言われたなら。手術をしても治らないと言われたなら。

 延命治療では苦痛を与えるだけになるとわかったら、やっぱり中絶を選択するかもしれません。看取るとわかって妊娠継続するのは、精神的に自分を追い込む形に、繋がるかもしれないから。

 

 夫や実母がまた不安を抱え、今の家族が離れてしまう可能性があるのなら。夫や両親、義両親の心を変えることができないのなら。それは、私と子供を不幸にする可能性があるかもしれない。

 

 「産む」「産まない」、どっちの結果になったって。

 私達夫婦は、また家族全員が幸せになれるのは、どの選択がいいのかと悩むと思います。

 

 本当に、自分の子がどんな状態で産まれてくるのか、または自分達がどんな心情になるのかは、その時じゃないと、わかりません。

 

 

 私達が出した「決断」を他人に批判されても、私は構わない。

 だって、私達が望んだその子を「愛している」という事実は絶対に変わらないと思うから。

 それを他人が理解できないのは当然、理解してほしいと思うのも、違う。

 

 

 

 今回の妊娠を通して、私は圧倒的な赤ちゃんの疾患に対する知識不足を痛感しました。 

 重度の障害を持った子育てについての現状や知識が欲しく、色んな方のSNSを見させて貰っています。また、赤ちゃんの疾患についても、医療や育児の知識をもっと蓄えようと思いました。

 どんな子でも、多少の障害を持っても、自分達が受け入れられるための環境を変えられるのか、視野を広げていこうかと思っています。お金の貯蓄や、転職も視野に入れる(在宅ワークに切り替えられるのか、稼げるスキルを手に入れる)、どんなサービスがあるのか、どこまで保険が効くのか、どんな施設が存在するのか。

 

 もちろん、健常児を一番に望みますが、どんな子だって受け入れられる体制だって作って行きたい、まずは知ることが大切だと感じました。

 

 

 

④へ続く