ヨシムラの日常日記

自分らしく、ゆっくり歩いて行こう

中期中絶を選択すること④

 

 疾患も持つと想定して妊活するのも正直、どうかな…と言う考えもありますが。

 今は医療が進歩し、どんな低体重出生や重い心疾患があったとしても、治療ができる世の中です。どんな病気でも出生率が上がっているのは確か。心構えというか、疾患を持つ子供を育てても幸せなんだってことを、そんな幸せな家族のことをもっと知りたいと考えています。

 

 産まれるなら、健康で産まれてほしい。

 健康に育ってほしいと思うのは当たり前の感情ですが、障害の差別というか偏見も、失くしていきたいと考えています。

 

 しかし、子供が欲しいと思う反面、妊娠が怖い。

 私なんかが、息子の命を諦めようと思った自分が、また新しい命を望んでいいのだろうか?と葛藤もしました。

 

 

 

 出産してから1ヶ月経過した頃、私は突然「死にたい」と言う衝動に駆られたんです。

 

 胎盤が排出しきれず、胎盤ポリープが形成してしまい、大出血のリスクがあると医師から説明を受けた頃です。

 出血が止まらなかったら、子宮全摘になる可能性があり、そうなるともう二度と子供が授からない体になると。

 過度な運動をしないよう生活を変えなくてはいけなくなりました。

 

 

 これは罰じゃないかと、夜な夜な私は思い込みました。

 我が子を殺そうとした自分に、神様が罰を与えたのでは。

 このまま、子供ができない体になる。むしろ、大出血をして死ぬ可能性だってある。

 

 そんなリスクを負って当然だと。

 早く死んでしまえばいい、と。

 

 とんでもない罪悪感が湧き上がり、こんな自分なんか母親になる資格なんてない、と思い込みました。

 新しい命を授かったとして、果たして天国にいる息子は喜ぶのだろうか?と。

 

 そんなドロドロした思考に気が狂いそうになりました。

 今思えば、女性ホルモンのバランスもあって何かに取り憑かれたようなマイナス

思考になっていたかもしれないです。 

 

 

 

 中絶はやはり「人殺し」であることは、間違いありません。

 その事実はふとした瞬間に自分を責め立て、前向きな思考を打ち消して、生きる気力を奪い、地獄の底に自分を追い詰めます。どんなに冷静になろうとしても、どんなに論理的な思考になろうとしても、誰がどんな慰めの言葉をかけても効果はない。

 それだけ、罪深いものであるのも事実。

 

 でもそれは逆に、我が子を愛している証拠だとも言えます。

 

 我が子のことが大好きだから、待ち望んだ命だから。

 一緒に暮らせることが楽しみだったから。

 だからこそ、怒りや絶望が沸き起こって、自分を責め立てる。

 

 でも、それを長期間続けて、歯止めが効かなくなると、それは心のリストカットと同じ。自分自身を切り刻んで、血塗れにして、痛々しい姿になっていく。

 

 

 そんな時、私は自分自身が胎児になったのを想像します。

 母親が泣く泣く中絶を選択して、ずっと後悔して自分を責めている姿を知ったなら。

 私は、これほど悲しいことはないし、母親に早く元気になって欲しいと願うと思います。自分が「呪縛」になって、母親を苦しめているなら、こんなに胸が裂かれることもない。

 

 怖いのは、自分の子のことを「失敗だった」と物のように扱い、すぐに忘れて無かったことにしてしまうこと。

 無関心が、私は一番怖い。

 

 

 毎日じゃなくてもいい。

 ふとした時に、思い出してくれて。

 また、自分のことを父や兄弟や、祖父母や、親戚や、友達にたまに話してくれたなら。

 それだけで、私は幸せだと思う。

 何より、母親に元気に生きて欲しい、幸せになって欲しいと願いたい。

 

 

 中期中絶を選択した過去は、変えられない。

 後悔するからこそ、罪悪感を抱くからこそ。

 だからこそ、自分も、家族も、友人も、他人の「命」も大事にしなくてはいけないと、私はとてもつもなく感じています。

 今いる家族を幸せにしてあげなくてはいけない。それと同時に、自分自身が幸せにならなくてはいけないと、思います。

 

 

 中期中絶は「人工死産」に名前を変えます。

 中絶を覚悟し、お腹の中で心拍が泊まり「流産」に変わる人もいる。そうすれば「自然死産」になる。

 

 我が子がどんな死産をしたとしても、私達は生きていくしかない。

 我が子がお腹に宿った時、幸せを感じたのは、誰もが同じだと思うから。その子を愛している思いは本物だ。

 

 

 

 最初の方に話が戻ります。

 中絶を反対・批判し叩く人達は、当事者の背景を理解していないでしょう。しかし、その人達すべての意見を否定するのは違うかもしれません。

 

 本来、中絶という行為をしたくないのが、多くの母親の思いではないでしょうか。私だって、何も考えずに産めるなら産みたい。 

 

 この世界には、疾患や障害を持つ人もいるし、その家族だっています。

 その人達からしたら、出生前検査で中絶を選ぶ行為は、大事な家族を否定された気持ちになるのは当然。でも、その人達はその人達で苦労があるのも事実。しかし、それを「不幸」とか「自分なら無理」とその人達の背景を理解しようとせず対立するのも、違うのではないでしょうか。

 

 中絶は世界中の人間が常に論争し、答えが出ない問題です。

 

 だからこそ、他人の意見に流されないで「自分の価値観」を大事にして欲しい。そして「相手の価値観」を客観的に考えること。

  

 相手に自分の背景を考えて欲しいと思うなら、自分も相手の背景を考えなくては、フェアじゃない。何も考えずに相手の悪口を言うだけでは、何も意味がない。ただの時間の無駄。

 「こういう考えの人もいる」と、多様な思考も理解していくのも、「命の話」をするには、大事なことだと思う。 

 

 Twitterで中期中絶を肯定していた私に意見をくれた人に、私は正直感謝もしています。

 自分優位にコメントをすることは正直、ただ不快です。しかし、それは相手が私を「知らない」だけで、その人にはその人の正義があるのだと、教えてもらいました。

 

 望んだ命を、愛していた子の中絶を選択し、後悔する人がいたら。

 罪悪感に飲まれて、生きる力を失っている人がいるなら。

 

 私は、心の底から幸せになって欲しいと思います。

 

 また前を向いて歩いて欲しいと思います。

 お腹の赤ちゃんは、決して母親を恨んだりしません。赤ちゃんは誰よりも、母親の元気な姿を望むでしょう。母親が我が子へ願うのと、一緒です。

 

 だから「命」を大事にしてください。

 自分と、家族を大事にしてください。

 

 

 それだけを、私は願っています。

 

 

 〜完〜