ヨシムラの日常日記

自分らしく、ゆっくり歩いて行こう

10月からの目標

 

 

 職場のお偉いさんとグループメッセのやりとりしまして、10月から事務職として復帰予定になりました。って言っても看護師の能力しか無いので、事務さんのお手伝いみたいな。

 東京23区の店舗を転々と彷徨うので、路線に詳しくなりそうだぜ…っ!てか強制的に覚えなきゃいけない。

 

 給料は半分に下がりましたが…贅沢は言えねえ( ;∀;)

 むしろ手取りが20万以下になったことで、倹約家を目指すきっかけになるかも。

 ちゃんと早起きして自炊するよ、毎日弁当作って水筒持っていくよ。夕飯面倒くさいからって銀のさら頼んだりしないよ。

 

 結婚して名前変わったので、楽天銀行も新たに作り直しました(すげー面倒だった)

 また共同口座作って、きっちり、やりくりできる人間になりたいと思います。

 

 お金貯めて、再来年は新婚旅行行くどー!!!

 目指せ50万円(旅行で豪遊したい) 結構リアルな料金。

 

 あとは、将来と言うかまた妊娠した時のために貯金もしていきます。

 でも1〜2年は作らないかもですが。そもそも体治さないといけない。

 

 

 これから「なりたい自分」文字でまとめてみる。

 

 ・ミニマリストになりたい。

 ・必要最低限のもので生きていける人間になりたい。

 ・シンプルに生きたいし、人と比較しないで自分らしく胸張れる人間になりたい。

 ・色んな人とコミュニケーション取って、多様な考えを持つ人間になりたい。

 ・色んな情報を持って、知識をつけていきたい。

 ・他人の価値観に流されない人間になりたい。

 

 つまり、そんな女というか、そんな母親になりたい。

 

 そのためにまず、始めること

 

 1.復職する、仕事に慣れる(出血しないように気をつけて生活する)

 2.家計を見直す 

 3.3月の結婚式に向けて健康的な体づくり(出血に気をつけながら)

 4.早寝早起き

 5.副業始める(在宅ワーク極めていく)

 

 まあ、こんなもんかな。

 やりたいことを作ること、何をしたいのか考えること。

 

 

 息子に胸張れる人生送るために、自分がまずやることはこれだ!!!

 ほどほどに、ゆる〜くやってみよう!!

 おーーーー( ・∇・)

 

 途中で絶対、何個か諦めると思うけど笑

中期中絶を選択すること④

 

 疾患も持つと想定して妊活するのも正直、どうかな…と言う考えもありますが。

 今は医療が進歩し、どんな低体重出生や重い心疾患があったとしても、治療ができる世の中です。どんな病気でも出生率が上がっているのは確か。心構えというか、疾患を持つ子供を育てても幸せなんだってことを、そんな幸せな家族のことをもっと知りたいと考えています。

 

 産まれるなら、健康で産まれてほしい。

 健康に育ってほしいと思うのは当たり前の感情ですが、障害の差別というか偏見も、失くしていきたいと考えています。

 

 しかし、子供が欲しいと思う反面、妊娠が怖い。

 私なんかが、息子の命を諦めようと思った自分が、また新しい命を望んでいいのだろうか?と葛藤もしました。

 

 

 

 出産してから1ヶ月経過した頃、私は突然「死にたい」と言う衝動に駆られたんです。

 

 胎盤が排出しきれず、胎盤ポリープが形成してしまい、大出血のリスクがあると医師から説明を受けた頃です。

 出血が止まらなかったら、子宮全摘になる可能性があり、そうなるともう二度と子供が授からない体になると。

 過度な運動をしないよう生活を変えなくてはいけなくなりました。

 

 

 これは罰じゃないかと、夜な夜な私は思い込みました。

 我が子を殺そうとした自分に、神様が罰を与えたのでは。

 このまま、子供ができない体になる。むしろ、大出血をして死ぬ可能性だってある。

 

 そんなリスクを負って当然だと。

 早く死んでしまえばいい、と。

 

 とんでもない罪悪感が湧き上がり、こんな自分なんか母親になる資格なんてない、と思い込みました。

 新しい命を授かったとして、果たして天国にいる息子は喜ぶのだろうか?と。

 

 そんなドロドロした思考に気が狂いそうになりました。

 今思えば、女性ホルモンのバランスもあって何かに取り憑かれたようなマイナス

思考になっていたかもしれないです。 

 

 

 

 中絶はやはり「人殺し」であることは、間違いありません。

 その事実はふとした瞬間に自分を責め立て、前向きな思考を打ち消して、生きる気力を奪い、地獄の底に自分を追い詰めます。どんなに冷静になろうとしても、どんなに論理的な思考になろうとしても、誰がどんな慰めの言葉をかけても効果はない。

 それだけ、罪深いものであるのも事実。

 

 でもそれは逆に、我が子を愛している証拠だとも言えます。

 

 我が子のことが大好きだから、待ち望んだ命だから。

 一緒に暮らせることが楽しみだったから。

 だからこそ、怒りや絶望が沸き起こって、自分を責め立てる。

 

 でも、それを長期間続けて、歯止めが効かなくなると、それは心のリストカットと同じ。自分自身を切り刻んで、血塗れにして、痛々しい姿になっていく。

 

 

 そんな時、私は自分自身が胎児になったのを想像します。

 母親が泣く泣く中絶を選択して、ずっと後悔して自分を責めている姿を知ったなら。

 私は、これほど悲しいことはないし、母親に早く元気になって欲しいと願うと思います。自分が「呪縛」になって、母親を苦しめているなら、こんなに胸が裂かれることもない。

 

 怖いのは、自分の子のことを「失敗だった」と物のように扱い、すぐに忘れて無かったことにしてしまうこと。

 無関心が、私は一番怖い。

 

 

 毎日じゃなくてもいい。

 ふとした時に、思い出してくれて。

 また、自分のことを父や兄弟や、祖父母や、親戚や、友達にたまに話してくれたなら。

 それだけで、私は幸せだと思う。

 何より、母親に元気に生きて欲しい、幸せになって欲しいと願いたい。

 

 

 中期中絶を選択した過去は、変えられない。

 後悔するからこそ、罪悪感を抱くからこそ。

 だからこそ、自分も、家族も、友人も、他人の「命」も大事にしなくてはいけないと、私はとてもつもなく感じています。

 今いる家族を幸せにしてあげなくてはいけない。それと同時に、自分自身が幸せにならなくてはいけないと、思います。

 

 

 中期中絶は「人工死産」に名前を変えます。

 中絶を覚悟し、お腹の中で心拍が泊まり「流産」に変わる人もいる。そうすれば「自然死産」になる。

 

 我が子がどんな死産をしたとしても、私達は生きていくしかない。

 我が子がお腹に宿った時、幸せを感じたのは、誰もが同じだと思うから。その子を愛している思いは本物だ。

 

 

 

 最初の方に話が戻ります。

 中絶を反対・批判し叩く人達は、当事者の背景を理解していないでしょう。しかし、その人達すべての意見を否定するのは違うかもしれません。

 

 本来、中絶という行為をしたくないのが、多くの母親の思いではないでしょうか。私だって、何も考えずに産めるなら産みたい。 

 

 この世界には、疾患や障害を持つ人もいるし、その家族だっています。

 その人達からしたら、出生前検査で中絶を選ぶ行為は、大事な家族を否定された気持ちになるのは当然。でも、その人達はその人達で苦労があるのも事実。しかし、それを「不幸」とか「自分なら無理」とその人達の背景を理解しようとせず対立するのも、違うのではないでしょうか。

 

 中絶は世界中の人間が常に論争し、答えが出ない問題です。

 

 だからこそ、他人の意見に流されないで「自分の価値観」を大事にして欲しい。そして「相手の価値観」を客観的に考えること。

  

 相手に自分の背景を考えて欲しいと思うなら、自分も相手の背景を考えなくては、フェアじゃない。何も考えずに相手の悪口を言うだけでは、何も意味がない。ただの時間の無駄。

 「こういう考えの人もいる」と、多様な思考も理解していくのも、「命の話」をするには、大事なことだと思う。 

 

 Twitterで中期中絶を肯定していた私に意見をくれた人に、私は正直感謝もしています。

 自分優位にコメントをすることは正直、ただ不快です。しかし、それは相手が私を「知らない」だけで、その人にはその人の正義があるのだと、教えてもらいました。

 

 望んだ命を、愛していた子の中絶を選択し、後悔する人がいたら。

 罪悪感に飲まれて、生きる力を失っている人がいるなら。

 

 私は、心の底から幸せになって欲しいと思います。

 

 また前を向いて歩いて欲しいと思います。

 お腹の赤ちゃんは、決して母親を恨んだりしません。赤ちゃんは誰よりも、母親の元気な姿を望むでしょう。母親が我が子へ願うのと、一緒です。

 

 だから「命」を大事にしてください。

 自分と、家族を大事にしてください。

 

 

 それだけを、私は願っています。

 

 

 〜完〜

中期中絶を選択すること③

 

 ここから、少し自分の話になってしまいます。

 

 

 私はどんな病気でも産んで育てる、と妊娠前はずっと前向きに考えていました。

 しかし「私だけが産みたい」では、やっていけないのだと現実を知ります。

 

 夫は「病気の子ならおろしてほしい」と言いました。

 実母も「障害児を育てるのは、大変」と言いました。

 

 助けてくれる夫も両親もいなければ、シングルマザーは難しい。

 恥ずかしながら、貯金も少ない。私の職業では、在宅勤務だって難しい。私が無理やりどんな子でも産む決断をしていたなら、夫と離婚したかもしれないですし、母親とも大喧嘩をして、孤独になっていたかもしれません。その結果、頼れる人がいなくなって、我が子を愛せなくなって、恨んで、自分も追い込んで、暗いドン底の未来もあったかもしれません。

 

 だから、どんな病気の子供だって、周りの家族が一緒に支えてくれる環境が欲しかったです。

 

 出生前診断をして、陽性の結果だとしても。または、染色体疾患以外で、重たい障害が残ると言われてしまっても。それを知った上で産む決断をした人達は、本当に恵まれていると、私は思ってしまいました。恵まれると言う言葉は、あまり適切ではないかもしれませんが…。

 産む覚悟をした人達を尊敬しますし、正直、羨ましいとも思ってしまいました。

 

 私にはお金も、家族サポートも、夫婦二人の病気の受容も、ありませんでした。

 

 

 私達夫婦の息子は結局、遺伝病とは関係ない疾患と診断されました。

 なので、遺伝子カウセリングを受けただけで、結局出生前診断は行っていません。しかし、実行していた場合、ある程度の方針を決めていました。

 

 染色体の疾患がわかったら全ての疾患で「中絶」を選択するのではなく、ある病気なら産もう、と自分達の条件を決めたのです。

 

 「合併症が少ないダウン症ターナー症候群など、長く生きられる病気なら産みたい」という意見を一致させます。

 

 13・18トリソミーでは、寿命が短い。苦しい思いをさせてしまうかもしれない。頑張って生きている子もいるが、やはり今の自分達では育てられない。経済力も、育児介護環境も、私と夫のサポート体制も、今の私達では、この病気では育てられないと判断しました。

 しかし、ダウン症であるならば。合併症も軽度で、数回で完治できる心臓の手術なら、お金はなんとか、ギリギリ用意ができるかもしれない。発達障害があったとしても、自分の足で動くことができて、寿命が長くて、生きがいを見つけることができるなら、幸せにできるかもしれない。

 

 この時は、そんな条件で羊水検査をすることを覚悟しました。

 

 

 

 また次の子を妊娠できたなら。

 私は、医師から指摘が無ければ出生前検査はしません。

(クアトロやNIPTなど確率の検査はせず、確定診断の羊水検査か絨毛検査しかしないでしょう)

 そして、もし染色体異常がわかったなら…。また、重たい病気があると言われてしっまったら、私達はどうするのでしょう。

 

 

 それは、また「その時の私達」でないと、正直わかりません。

 

 

 今度こそ、「産みたい」と思うかもしれない。

 

 死産した第一子を思い出し、今度こそ、心臓が動いているならどんな病気や奇形な姿だとしても産むと、一心不乱になって、自分の意思を貫き通すかもしれない。

 

 なかなか子供ができず高齢になり、不妊治療をしたならば。

 もう最後の子供かもしれないと言われたなら、例え予後不良と言われても、繰り返し治療を重ねて、リハビリをさせて、その子が生きられるよう奇跡を願うかもしれない。

 

 どんな病気なのか、どんな障害が残るのか。どんなケアが必要で、生きるためにどんなサービスが必要なのか。その子に向き合った、個人に合わせた育児を前向きに考えていくかもしれない。

 

 

 しかしまた「産めない」と、諦めてしまうかもしれない。

 

 余命が短いと言われたなら。手術をしても治らないと言われたなら。

 延命治療では苦痛を与えるだけになるとわかったら、やっぱり中絶を選択するかもしれません。看取るとわかって妊娠継続するのは、精神的に自分を追い込む形に、繋がるかもしれないから。

 

 夫や実母がまた不安を抱え、今の家族が離れてしまう可能性があるのなら。夫や両親、義両親の心を変えることができないのなら。それは、私と子供を不幸にする可能性があるかもしれない。

 

 「産む」「産まない」、どっちの結果になったって。

 私達夫婦は、また家族全員が幸せになれるのは、どの選択がいいのかと悩むと思います。

 

 本当に、自分の子がどんな状態で産まれてくるのか、または自分達がどんな心情になるのかは、その時じゃないと、わかりません。

 

 

 私達が出した「決断」を他人に批判されても、私は構わない。

 だって、私達が望んだその子を「愛している」という事実は絶対に変わらないと思うから。

 それを他人が理解できないのは当然、理解してほしいと思うのも、違う。

 

 

 

 今回の妊娠を通して、私は圧倒的な赤ちゃんの疾患に対する知識不足を痛感しました。 

 重度の障害を持った子育てについての現状や知識が欲しく、色んな方のSNSを見させて貰っています。また、赤ちゃんの疾患についても、医療や育児の知識をもっと蓄えようと思いました。

 どんな子でも、多少の障害を持っても、自分達が受け入れられるための環境を変えられるのか、視野を広げていこうかと思っています。お金の貯蓄や、転職も視野に入れる(在宅ワークに切り替えられるのか、稼げるスキルを手に入れる)、どんなサービスがあるのか、どこまで保険が効くのか、どんな施設が存在するのか。

 

 もちろん、健常児を一番に望みますが、どんな子だって受け入れられる体制だって作って行きたい、まずは知ることが大切だと感じました。

 

 

 

④へ続く

中期中絶を選択すること②

 

 私は息子を失ってから、TBSドラマ『コウノドリ』を見始めました。

 

 シーズン2で出生前検査をした2組の夫婦の回があります。

 1組目の若い夫婦は、気軽な気持ちでNIPTを受け、ダウン症と判明。確定検査も受け、中絶を選択するも、処置のギリギリで中絶を拒否して育てることになった夫婦。

 2組目は年配の夫婦で、上に一人子供がいました。個人でお弁当屋を経営しており、手がかかってしまう障害児が産まれると、店の経営が厳しくなるという経済的理由がありました。あえて病気がわかったら中絶する覚悟で検査を実施し、ダウン症と確定。泣きながら中絶をした夫婦です。

 

 この2組の夫婦、どちらも中絶を検討するんですが、どっちも、子供に愛があります。

 

「中絶したくないなら、なんで検査なんかするんだ」

「なんで中絶したのに、母児同室にするのか」

 

 ドラマの中でも、新米医師が中絶を選んだくせに、的な疑問に思うセリフがあるんですが、これは本当に、当事者の母親じゃないとわからない感情なんだよな…と感じました。

 (めちゃくちゃ考えさせられるので、ぜひ見ていただきたい)

 

 他人から見たら出生前検査なんて、身勝手な検査かもしれません。

 この世にいくつもの病気がある中で、染色体異常しかわからない検査です。染色体以外の病気になるかもしれないし、産まれた後だって病気になるかもしれないのに。100%健常児である保証なんて、どこにもないのに。

 

 

 

 私も、遺伝子カウンセリングを受ける前は、出生前検査は全く知識がありませんでした。

 

「なんでこの検査をする必要があるのか?」

「なんで命の選別をしなくちゃいけないんだ?」

 とかなり疑問に思っていました。

 

 しかし、この検査を説明され、染色体疾患の「合併症」について知り、医療児ケアを具体的に想像できるきっかけになったと思います。

 

 染色体疾患は、生命に関わる重度の疾患であり、医療が必ず伴う怖い病気です(※中には生命に問題のない子も稀にいます)

 

 「障害児だから中絶する、しない」で終わらせてしまう薄っぺらい話ではありません。

 

 

 染色体異常は21トリソミー(ダウン症)を一番に思い浮かべると思いますが、染色体疾患の中で53%が21なだけであって、13・18トリソミーや性染色体数的異常、その他の珍しい染色体疾患など実際は多くの種類の疾患があるそうです。

 

 ダウン症は、テレビで芸能人のご家族が出演したり、街中で見たりと結構身近な存在だったりしたので、私はあまり抵抗は無かったんです。特徴がある顔立ちだが、50〜60歳まで寿命が伸びて元気に生活している人もいると。

 しかし心疾患が50%、消化菅奇形が10%、甲状腺疾患や耳鼻科疾患、眼科的疾患があったりと、かなりの数の疾患が合併する可能性があり。心疾患も重度になれば生命に関わるものもあると、知りました。

 

 そして、18・13トリソミーの資料を見た瞬間、私はかなり頭を抱えました。

 

 18トリソミーは、呼吸障害、摂食障害が特徴であり、心疾患が90%、消化管奇形や関節拘縮が合併。気管挿菅や呼吸補助が必要であり、50%が1ヶ月以内、90%が1年以内で死亡することが多い。

 13トリソミーも、18と同様に呼吸障害と摂食障害を合併するため人工呼吸器は必須。心疾患も90%、全前脳胞症、多指趾症、口唇口蓋裂、眼の病気などを合併。生存率は90%の確率で1年以内。

 

 

 医師からは、確率が高いと言われる3種類のトリソミーの説明を受けました。

 

 

 ずっと「どんな病気や障害を持ったとして、絶対に産んで育てる」と思っていた私の心が、一気に打ち砕かれたというか、一気に現実に戻されました。

 

 「我が子と親の負担が、あまりにも大きすぎる」

 

 素直に、冷静になった途端感じたことです。

 

 心疾患の中でも、心室中隔欠損、心内膜欠損、動脈菅開存など、心臓手術が必要になってくること。手術をすれば完治することもあり、希望もあること。しかし何回か手術を繰り返す必要もあり、合併症の数によっても、中には手術中に死亡するケースもあるとか。

 食道閉鎖症の場合は、どうしたって経管栄養が必要。母乳やミルクだってチューブから注入しなくてはいけない。

 そして、人工呼吸器をつけた場合、呼吸状態、酸素量のこまめなチェック、カニューレの管理、吸引などを頻回にしなくていけない。少しでも痰が詰まってしまえば、我が子は窒息してしまう。

 

 

  全ての合併症が起こるわけではない、と説明があるも、医療児の我が子を、私達夫婦が幸せにできるかどうか、という問題に直面しました。

 

 

 13・18トリソミーでも、数年長く生きられる子もいる。しかし、生きられない子もいる。家に帰れず、ずっと病院で過ごして、色んなチューブや点滴につけられた状態で。異物が多く、肺炎や敗血症などいつでも命に関わる感染リスクとは隣り合わせ。抱っこをするのも難しくて、大人でも悲鳴を上げるような大きな手術をして。

 そのまま病院で亡くなってしまう場合だって、ある。

 

 それでも、この世に生まれたことに感謝をし、頑張って生きて欲しいと願い、育てる覚悟をしたとしても。

  

 それが、果たして我が子の幸せなのだろうか?

 産まれて間もない我が子を、どこまで頑張らせればいいのだろうか?

 どこまで生かせばいいのか?

 

 やっぱり、答えのない問題に、頭を悩ませます。

 

 

 

 命を無事に取り止め、家に帰れたとしても、課題はとても多いです。

 

 私達夫婦の両親はどちらも遠方であり、育児介護を手伝ってもらうことは諦めていました。引っ越しをすると言っても、夫の仕事上、今の土地から離れることは困難。

 また、私が退職をして育児につきっきりになったとして、収入が減ってしまっては満足に在宅サービスも受け入れられないと思いました。

 治療費や入院費だって馬鹿にはならない。高額医療費制度と民間の保険を利用したって、自費は絶対にどこかで発生する。退院後も、在宅サービスは無料ではないから。

 医療ケアを見てくれるデイサービスや保育園も見つかるかどうか保証はない。

 

 ただでさえ、健常児だって目が離せないというのに。

 成人した人間の医療ケアだって、スタッフの交代があるから成り立っているものなのだ。

 無事に帰れたとして、医療児ケアは絶対に親にとっても、子供にとっても、身体精神的に過酷なものだと、すぐに実感しました。 

 

  

 これが、現実です。

 決して、綺麗事では語れない。

 

 

 これだけ、重たい病気が隠れている染色体疾患。

 それを知るための出生前診断

 しかし全部が全部、その子に合併症が起こるわけではないため、我が子がどこまで治療を必要とするのか、どこまで生活できる子なのか、様々かと思います。

 

 

 日本では任意の検査ですが、海外ではほ出生前検査を保険適応とし、義務にしている国もあるとか。

 

 

 コウノドリで、ダウン症と確定して中絶を決意した母親は、むしろ現実を見て苦渋の決断をしたのでは、と私は感じました。

 この結論に、正解はありません。

 医療従事者も、その人を責めることはできない。

 中絶はあくまで「選択」でした。

 

 コウノドリは原作が漫画なのですが、実際にあったエピソードを作者が医師や助産師に取材をして練った物語なので、かなりリアルです。

 

 

 望んだ命を中絶することを「最低な行為」「母親失格」と批判する声は沢山あります。

 しかし、中絶後に泣きながら我が子を抱きしめた母親は、その子を愛していました。

 

 望んだ命。

 病気や障害を持っていたって関係ない。

 どんな子だって、産んであげたい。

 どんな子だって、育てたい。 

 

 でも、それが叶わない人達だって、沢山います。 

 

 

 それは、染色体疾患だけの話ではありません。臓器がなかったり、手足がかけていたり。お腹の中ではわからない病気だってあります。

 私達が住むこの世界で、重い病気を持って生活することは、とても生きづらいから。

 綺麗事だけで、産めないのです。 

 経済力だったり、家族環境だったり、サポート体制だったり。仕事だったり。その子を豊かに育てられる環境が揃っているのか、真剣に考えなくていけない。

 

 母親は産みたい。でも父親は産んでほしくない。

 母親は産みたくない。でも父親は産んでほしい。

 

 両親のどちらかの意見を優先するのも、違います。赤ちゃんの親は片親ではなく、必ず二人です。赤ちゃんだけでなく、自分達が幸せになるにはどうすればいいのかを、どういう結果なら後悔しないのか、必ず両親が話し合わなければいけません。

 

 重たい疾患がわかって「周りが産めって言うから」なんて理由で産む方が、赤ちゃんや自分達を傷つける結果になるかもしれない。

 

 他人任せの判断ではなく、自分達で選択するから意味がある。

 逃げないで、ちゃんと「命」に向き合わなくちゃいけない。

 

 薄っぺらい情報だけで叩いてくる他人は無責任です。経緯も、その人の背景も知ろうとしないし、胎児や母親のリスクもわかっていない。そんな無責任な人達の批判や反論を真に受けるのは、ただの時間の無駄。

 中絶は「正しい」「正しくない」で、他人が自分優位で評価するものじゃない。

 

 

 父親だけでも、母親だけでもない。

 両親二人が揃って「家族のために」悩んで悩んで、何度も悩んで決めたなら、それが「愛情」だと、私は思います。

 

 

 ③へ続く 

 

働きたい

 

 

 なんか、そろそろ本気で働きたい。

 色んな人とおしゃべりしたい_:(´ཀ`」 ∠):

 看護師になりたい。

 おじいちゃん、おばあちゃんとたわいもない会話をしたい。

 

 

 ヌーン、家にいるの飽きた。

 

 

 会社がトークノートやってるんだが、メールがくるたびに色んな人の反応見てるなう。

 まだ旧姓の私のアカウントよ・・・。はよう直せや人事課って思う。

 

 

 10月から事務作業することになってるんだけど、全然連絡こなーいぜ。

 

 

 転職したいとか色々考えてたけど、今はただ単純に金が欲しい。

 働かせてくれ〜

 

 

 

中期中絶を選択すること①

 

 ※今回は、中期中絶を選択した心情というか、私の個人的な意見をまとめています。

 不快な思いをされる方もいるかもしれません。ご了承ください。

 

 

 

 中絶という単語は、正直使いたくありません。

 しかし、死産という形で終わらせたくもない。

 私が確実に息子の「命を諦める」という選択をしたことは、事実です。

 それを隠して、綺麗事で生きていくことはしたくありません。

 

 なので、私は中絶という言葉を使います。

 

 

 

 

 

 以前私がTwitterで呟いたツイートです↓

 

 まさか自分が中絶を選択する立場になるなんて・・・

 「NT肥厚、脊椎異常」この二つを指摘され、トリソミーの可能性を疑われました。

 私は「産む」「産まない」の選択肢を迫られ、夫と話し合い、かなり悩んだ日々を送りました。

 

 中期中絶は最終的に人工の「死産」という名前に変わります。

 我が子の命の選別をしたお産であり、「自然死産」とはまた違う意味で、自分のことを追い詰め、罪悪感に襲われてしまう、とても悲しいお産です。

 

 

  そんなショックと、苦痛が誰にだってあることを多くの人達に知って欲しいと思い、呟いたツイートです。

 

 しかし、とある人からこんなコメントを貰いました。

 「中絶を選択したのだから、周りから批判される覚悟ぐらい持て」的な感じのものでした。

(その方はすでにコメントを削除しているので、詳細がわからず確定したコメントは不明です)

 

 

 

 なので、私のツイートで意見した人に対して最初はショックを受けました。

 

「なんで、何も知らないのに、反論できるのか?」と。

 

 その方のツイートを何となく見させてもらったのですが、逆に冷静になりました。

 赤ちゃんや家族の写真を沢山載せて、夫や義実家の愚痴や育児にいっぱいいっぱいになっているツイートばかり。

 

「ああ、何も知らないから、反論できるんだ」

 

 と逆に納得できたのです。

 この人は、何も問題なく妊娠して、出産して、我が子を愛している。だから、簡単に中絶に反論できる。

 そしてよく考えると、反論や批判でもなんでもない。

 ただの「その人の考え」なのだと感じました。

 

 中絶するなんて、どうかしていると。自分の子ならどんな子だって愛するべきだと。責任を持って育てるのが当然だと。

 その感情は、妊娠も知らない、病気も知らない、誕生死も知らない「何も知らない昔の私」と同じだと思いました。

 

 

 Twitterの意見を受け、「出生前診断」「中絶」と言うワードを検索すると、めちゃくちゃ批判されるコメントが多いことに改めて気づきました。

 「殺人」「罪人」「親失格」「無責任」なんて単語が飛び交い、完全に中絶を選択した人達を攻め立て、悪者扱いするようなものばかり。もちろん、一つの選択として肯定する人もいますが、死産後だったこともあり、やけに悪いコメントに目がついたんです。

 

 私は最終的に自然死産となった結果でしたが、「息子の心臓が動いた状態で、中絶を選択しようとした人間」です。トリソミーの可能性があると医師から言われた時も、合併症によっては中絶を視野に入れました。

 重度の13・18・21トリソミーだったら、中絶は確実に実行していたと思います。(理由は後で述べます)

 

 

 こんな批判や罵倒ばかりのコメントを見て、一気に私も追い込まれるかな・・・と思いましたが、自分でも驚くほど冷静でした。

 

 

「ああ。中絶した人を批判する人って、個人のことを何も知らないし、知ろうともしないんだ」と。

 

 

 夫のDVやレイプ、または未成年の妊娠。これらの望んでいない妊娠に対しての中絶には、強く批判する人は少ない。しかし、望んだ妊娠で、病気により障害児だとわかった瞬間に中絶を選択した人達は、叩かれる対象になる。

 

 なんて言うんでしょう。

 中絶に至った経緯を「健常児じゃなきゃ嫌というワガママだけで、育てられないから赤ちゃんを殺す」というマイナス面の意味付けをつけて解釈している人が多いのでは…と感じました。

 

 まあ、その捉え方をされても仕方ないと思いますし、事実、殺人であることに変わりはありません。赤ちゃんの人権問題はどうなるのか…と。

 

 

 でも、私は今でも思います。

 子供に病気が見つかり、障害があるとわかった瞬間。

 すぐに受け入れられる覚悟を持つ人は、いないと思います。誰だってショックや悲しみの渦にのまれ、不安になる。受け入れられない人の方が、多いと思います。

 

 それは私達の住む世界が、「健常者の思考」を優先した世界だからではないでしょうか?

 健常者が圧倒的に多くて、障害者と健常者が区別された世界だから、だから障害児だとわかった瞬間、不安が込み上げてくるし、自分の子だってすぐには、受け入れられないんじゃないかと思いました。

 

 比較される対象、「普通と違う」という価値観が根付いているから、心理的なショックを受けるんじゃないかと思います。

 

 

 

 私は死産を経験した後、ダウン症の子を対象とした養子縁施設の動画を見ました。

 

 その中で施設長さんの話で衝撃を受けたものがあります。

 とある夫婦は、ダウン症の子を育てられないと言って施設へ預け、次に産んだ健常児の子供は育てている、とのことです。そして、また違うとある夫婦は、母親がダウン症と知って鬱になってしまい、身体的にも、育てられない状況になってしまったと。

 施設長さんは子供ができず養子縁に登録した夫婦に「障害を持った子でも、養子が欲しいか」と質問するらしいのですが、残念ながら、断る夫婦もいると答えていました。

 

 

 ダウン症だけではありません。

 私が看護学生の時、小児科の実習の中で、忘れられない子供がいます。

 

 

 難病を持って産まれてきた子で、心疾患と呼吸不全が合併し、人工呼吸器をつけた5歳の女の子。口から食事も取れず胃ろうから食事を取っていました。体動はできず、意思疎通は少しだけできました(頷くように見えるだけ)。

 担当では無かったのですが、痰吸引の手技を観察する機会があり、関わらせてもらったんです。

 その子の親は、産まれてから5回しか面会にきていないと、看護師から聞きました。

 親が我が子を受け入れられず、産まれてからずっと入院をしている子供。この子は退院できるんですか?と質問した時、「わからない。退院できたとしても、家には帰せないかもね」と看護師が寂しそうに言ったことを、今でも覚えています。

 

 

 悲しいことに、似たようなエピソードはもっと沢山あります。

 私達が知らないだけで、もっと悲しい現実は隠れているかもしれません。

 

 

 我が子を受け入れられない親、また病気を持った子供を受け入れられない他人がいる事実は、失くせません。それぐらい、病気を持つ子供の受容は「親だからこそ、乗り越えられない」こともあるのです。

 

 それを他人が「身勝手」「信じられない」と批判する権利も、あります。批判をするのは自由です。

 しかし、他人が何を言って何を思ったって事実は変わりません。

 その他人に「じゃあ、あなた変わりに育てなよ」って言ったって、どうせ何もできないんですから。

 

  すべての親が受容できると他人が思い込むのは、乱暴な思想だ。

 

 その人の性格や、育った家庭環境、関わってきた人間関係、障害者や病人と深く関わったことがあるかないか、医療や福祉、保育関係と関連があるかないか、本当に、人によって違うのです。

 

 

 親が「育てられない」と感じたのならば、もう育てられないんです。

 他に理由なんて、ありません。

 

 

 それだけ、人は「病気を持った子供」に不安を抱えます。

 

 

 産まれた後ではなく、産まれる前に知ってしまう残酷さ。

 

 ただ、親が抱く「不安」の正体は、ただの差別ではないと思います。

 「産まれる前」だからこそ、悩む理由が沢山あるのです。 

 

 望んだ妊娠で、数ヶ月もお腹の子を愛していたのに、「病気だとわかったので中絶しまーす」と軽い気持ちで処置の苦痛を味わって、またすぐにお腹の子を忘れて次に進める人は…多分いないと思います。心を切り替えられたとしても、生きていれば、罪悪感に襲われる瞬間は絶対どこかでやってくる。

 

 

 

 自分達が果たして「育てられるのか」という問題は、「その子をちゃんと幸せにできるのか」という一種の「愛の形」だと、私は考えます。

 「産むか」「産まないか」

 綺麗事無しで、自分達の生活環境や心理環境を踏まえた上で、ちゃんと向き合って考えなくてはいけない課題だと思いました。

 

 

 

 ②に続く

 

結婚式の準備

 

 

 よし、やっと少し落ち着いて結婚式の準備に取り掛かるぜよ。

 結婚指輪も届いたし、来週ブライダル店に来店します。今日予約したぜ(^^)

 

 神前式をしたいので「和婚スタイル」というお店を予約!

 

 

 最初はグアムで式やりたかったけど、夫から何でキリスト教じゃないのに教会で誓うの?と質問され確かに違和感。

 綺麗な写真が欲しいから!と伝えたら、じゃあ写真でいいじゃん、となり…和婚へ笑

 

 あ、ちゃんと納得してるのでご心配なく(゚∀゚)

 

 確かに大勢の友達呼びたいわけじゃないし、コロナでそもそも人数呼べないし、海外行けないし。神前式も安いし悪くないんじゃないかと。白無垢お洒落で素敵!!

 

 なんかね、ほかの人と違うやり方が良かったのかもね。

 

 姉が600万ほどの盛大な結婚式挙げまして、親が挨拶まわりかーなり大変そうだったので、独身時から私は身内だけで挙げる方針は決まっておりました。(準備面倒ってのもありましたが…。あと姉と義兄が準備で喧嘩してすげー怖かった笑)

 

 ウェディングは沖縄とか旅行行った時にフォト取ればいいやーと納得。ウェディングドレス着るなら絶対海で撮りたいと謎の願望あり、高い金出してその辺のチャペルで撮るのは納得できなかった(O_O)

 むしろ海で挙げないならウェディングドレスは絶対着るもんか、的な。

 

 

 なので神前式して、新婚旅行は沖縄の流れへ。(本当はね、ハワイとかオーストラリアとかヨーロッパとか。てか、ドイツ。ドイツに行きたかった)

 

 

 

 正直ね、妊娠した時は子供が3-4歳になった時に一緒に挙げようと思ってたのよ。むしろ子供と一緒に結婚式やるのが楽しみだったんだけどね。

 

 

  ぶっちゃけ死産後は結婚式なんて挙げるつもりもなかったし、気力も無かったけど親にやっとけ、と背中押されたのでやることにします。

 お金もらったし、ありがたく使わせていただくぜぃ。

 

 

 日本の神に誓う神前式なら、夫婦の絆も深まるかしらと期待も込めて…。

 息子も天国から祝ってくれるかな。

 

 春先で桜を見ながら神社でやりたいなーと。身内だけで挙げて、そのあと会食して終わり!

 

 新婚旅行はまたゆっくり考えよ。沖縄行きたいけど、再来年でもいいしね。

 

 

 とりあえず程々にダイエットしよ。激しく動かないように注意しながら。

 明日また病院ーー。先生に風呂浸かっていいか聞こう。