ヨシムラの日常日記

自分らしく、ゆっくり歩いて行こう

死産後に会いたい友達と、会いたくない友達

 

 死産後、会いたくなる友人と、会いたくない友人がいるよねっていう話をします。

 

 会いたくない友達って本当の友達なの?って思ったんですが、友達は友達なんですよ。

 ただなんというか…会うタイミングを、ちょっと考えるべき人っているよねっていう。

 

 わりかし私は死産後色んな人達に話を聞いてほしくて、元気になった瞬間色んな人達と遊ぶ約束したりご飯に行ったりしたんですが…

 距離を置いていた友人から「遊ぼう」と連絡がきて、思考が止まってしまいました。

 

 その子は学生時代の友人で、仮にM子とします。結婚して1歳になる子供もいます。

 私の妊娠も本当は、安定期に入るまでM子に教えたくは無かったのですが、あまりにしつこく遊びたいメールが来たので、「妊娠してつわりがひどいからしばらく無理」と教えてしまったんです。。。

 案の定、安定期になったら遊びに行きたい、家を買ったから遊びに来て欲しいという連絡がかなり来て、これも面倒だから「子供が病気になって予後不良だから中絶することになった」と短文だけ送って様子見てたんです。

 本当は、病気のことも教えたく無かったんですがね。

 

 「落ち着いたらこっちから連絡するね」とだけ送って距離置いてたんですが・・・

 

 またも「遊ぼう」とメールがくるという_:(´ཀ`」 ∠):

 

 逆にすげーなと。

 空気読めよ、と思ってしまいました。

 

 

 死産後に会いたい友人とそうでない友人の特徴をまとめてみたりして・・・

 その違いってなんだ?と色々考えてみました。

 

 

 ◯会いたくなる友人◯

 独身だろうが、妊婦だろうが、子育てしてようが関係なく好き。

 むしろその子の赤ちゃんに会いたい。子供と遊びたい。

 色々話を傾聴してくれるし、傾聴したくなる。

 話してて苦じゃない。

 何かしら尊敬する部分がある。対等かそれ以上な存在だと思ってる。

 

 ◯会いたくない友人◯

 独身だろうが妊婦だろうが子育てしてようが、全部がモヤモヤする。

 妊娠のこととか、子育て関連の話題がしんどい。

 傾聴してくれるかと思いきや、すぐに自分の話に切り替わる。または見下してくるところあり。

 多分、なんか尊敬できないというか、私自身がその人を下に見てるとこがある。

 

 

 まあ、まとめて見た結果・・・

 妊娠してようがしてないが、関係なくしんどいってことに気づいた笑

 

 

 M子は昔から性格面倒やなって思ってたんですが、別に普通に仲は良かったんですよ。旅行も一緒に行ってたりしました。ただ、とある事件というか、ある出来事があって会いたくない気持ちが勝りまして。

 ことの発端は、ですね。

 4人ほどの学生仲間でライングループを作っていたんですが、私はその時はまだ独身で。ほか3人は結婚していて、うち2人が妊婦だったんです。

 

 1人はA子という4歳の子供がいる友人、B子は男の子を妊娠中。M子は女の子を妊娠中でした。

 

 まあ、このグループは独身時から作っていたんですが・・・B子とM子が妊娠したことで頻回にラインのやりとりが活発になりまして・・・。

 私だけが独身だったのと、子育てや妊婦の身体とか心理面がわからなかったことも理由にあると思うんですが…まあ、もうお互いのマウントの取り合いが、酷かったです(笑)

 

 私は子育てもよくわからなかったので、ただ傍観者としてコメントしないで3人のやりとりを眺めていたんですが、

 

 M子は体重増加を気にし、B子はむしろ体重減少を気にし、出産経験したA子は何も問題ない出産だったので「私は大丈夫だった。2人とも大変ね」ぐらいのアドバイスで終わるという(これはまだまだ序の口です)

 3人が和気藹々と楽しく話すなら良かったんですが、B子が切迫で入院したこともあったり、色々体調不良も出たり、メンタルが少し鬱っぽくなっていたのも知っていたので、私個人としてはかなり冷や冷やしていました。

 B子の腎機能に問題が見つかったとか、尿中のケトンの数値が危険とか、結構リアルな話になっていきまして・・・それもB子が自ら話すのではなく、A子とM子が「腎機能やばいんでしょ?」とか「透析もしなくちゃいけないんじゃない?」的な、話したくないけど話さなくちゃいけないように問い詰めるというか、絶対本人が気にしてるようなことを、グループでやり取りするのが、客観的に見ていて私はかなりしんどかったんです。

 

 あと、私はB子の母子手帳を読んだことがあったので、精神的にもすごく辛いけど、でも頑張って体調管理をしているのを知っていたので、尚のことでした。内容は本当、結構衝撃なものだったんです(ほか2人は読んでない)

 

 妊娠って本当にデリケートだし、友達だからって自分の体調とか子供の話題をポンポン話さなくちゃいけないの?と私はゾッとしたんです。

 たまに会って直接話すなら良いですが、LINEだと永遠に続くものですし、逃げ場ないのか・・・と思ってしまったんです。

 

 あと不倫とか夫の給料とか、家の値段とか、年収とか働き方とか。赤ちゃんの性別とか、相手と比べるような話題ばかりで、私は内容を読んでても気持ちがいいものではなかったので、黙ってグループ抜けたんです。

 そしたら案の定、M子から心配のラインがきたのと「独身1人だったから、話題入れなくてしんどかったよね」と謎の同情食らうという笑

 

 まあ、そう思うならそれで別に良かったんですが、色々その時にM子にぶちまけました。

 

 3人が3人、お互いマウント取り合うのが胸糞悪い、あとB子の心情も理解しないでズカズカ妊娠の話するのも空気読んでなくてイライラすると。自分も妊娠した時、このグループに全てさらけ出さなくちゃいけないなら、絶対無理と。

 申し訳ないけど、今のこのグループは自分のストレスでしかないし、参加したいとも思わないから抜ける、と伝えました。

 

 今思えば、グループに抜けて大正解でした。

 私も妊娠して、死産した状態であのグループに残っていたと思うと、本当メンタルやられていたと思います。

 

 抜けた後もM子とはなんとなくやり取りしてたんですが、案の定「A子が嫌味なママ友みたいで嫌だ」と相談してきたりして、本当面倒くさいな・・・と感じていました。

 団地くらしか家持ちとか、賃貸とか。旦那が夜勤やってるだの、年収いくらだの、親族付き合いがどうだの、正社員だのパートだの、本当どうでもいいことで争うのやめなよって思います。

 

 愚痴とか相談だけならまだしも、無意識にマウント取り合ってたら、しんどいだけだよって本当感じます。

 

 あと本当!!

 子供の性別で言い争うなんてくだらない!!!

 男でも女でも、無事に生まれればそれだけで幸せだっつーの!!!

 

 他人と比較するんじゃなくて、自分は自分で幸せだから満足って思えばいいじゃん・・・と、つくづく思う。

 

 あとM子は何かと私に「家買ったほうがいい」「車があると便利」「子供は2人以上。男女がいい」「旦那が優しくて幸せ」「犬買ったほうがいい」「料理教室が最高」と私に押し付けてくるのです。

 昔の私なら「ああ、はいはい。そうね〜。あなたがそれ幸せならいいんじゃない?」で流せたんですが、今は多分、爆発しそうです。

 

 ただただ、うぜえと。

 

 そんなに承認して欲しいなら、SNSでいいねの数貰ってろ!!と思うのですが。

 

 ここで育児の不満や愚痴を言われたら、多分私はマジでブチ切れるでしょう。

 それぐらい、M子には余裕がないです。

 

 はあ〜〜〜〜

 別にいいじゃんか。うちは旅行とか食事とか呑みとか自己投資にお金を使いたいから賃貸派。掃除面倒だから家も狭くていい。都心だから車あると邪魔だし、自転車と電車、バスで全然OK。遠出はレンタカーで十分。犬より猫派。料理は実母から教わったり、動画見ればレパートリーは増える。子供だって、1人でもいい。1人っ子だって幸せだ。性別なんてどっちでもいい。

 

 私は自分の考えを持って生きるようにしていますので、今の生き方に満足しているのですが…。

 なんか本当、M子に自分の価値観を押し付けられるのは、しんどいです。

 

 「自分はこれが揃えば幸せ」願念というか、それしか幸せを見いだせないのが、可哀想。というか多分、自慢してくるってことは、裏で何かしら不安が隠れてるんだろうな〜と薄々感づいてはいます。

 

 もっと多様性を見出しなよ〜と昔ならうまく流せますが、今は本当、私自身に余裕がないので言い争いになりそうです。

 特に子供のことになれば、尚のことでしょう。

 

 

 M子のことを尊敬というよりも、どこかで「自分より下」「面倒だ」と思っている自分がいて、子供を無事に出産した彼女を「上」だと意味づけしている自分がいるかもしれません。

 だからM子の子供を見たら「可愛い」よりも「なんで私が」「なんで私の赤ちゃんは産まれなかったんだろう」と比較の対象にしてしまうかもしれない。

 

 「今」の私は、だからM子に会いたくない。

 

 この感情こそ、本当にくだらないですよね。

 マウント取っているのは、自分の方だったのかもしれません。。。

 もう少し経過しないと、多分M子には優しくできないし、ドロドロに自分のことも追い詰めてしまうかもしれません。

 

 だから、お互いのためにも「今」は無視しています(笑)

 

 

 既読無視ってやつですね。 

 半年後、また私の方で会いたくなったら連絡取ろうと思いますし、連絡取りたくなかったら取りません。

 

 

 なんか、それでいいかなって思います。

 

 

 

 あと、本当は会いたいし、死産のことも話したいけど、まだタイミングじゃないって友人もいます。高校の部活仲間ですね。。。

 今年無事に出産した友人が2人います。でも、2人も不妊治療をしたり中絶した歴があり、今年やっと幸せに包まれた出産を迎えました。

 幸せいっぱいの2人に、まだ私の死産の話をするのは早い、と思っています。

 

 きっと、私の気持ちも理解してくれて、自分のことのように、一緒に泣いてくれる優しい仲間ですが。。。

 まだ、タイミングじゃないんです。「いつか」きっと、話そうと思っています。それはLINEじゃなくて、実際に会って、直接話す時間を作りたいと思っています。

 

 

 とりあえず、死産の話をできる友達もいれば、できない友達もいるよねっていう話でした。

 

久々に泣いたわ

 

 昨日は自分の店舗に2ヶ月半ぶりに出勤。

 

 とりあえず、皆には中途半端に仕事を投げたことを謝罪しました。

 所長がいきなり退職したせいもあり、かなりバタバタして大変だったみたい。「事務職でも戻ってきて嬉しい」とスタッフみんなが迎えてくれて、ちょっと安心したんです。

 ありがたいことに、事務仕事は沢山ありまして、みんなの話聞きながらパソコン業務へ。

 

 利用者さんやケアマネ達の話聞いて、変わらないな〜と懐かしい気持ちへ(笑)

 

 みんなバタバタと訪問に出かけて、事務所に1人になった瞬間。

 息子がお腹にいた時のことがフラッシュバックしたんです。

 あの時はまだ心臓が動いてた息子。食べづわりだったから、いつも何か食べながらカルテ書いて、お腹さすって働いてたなあ・・・なんて思い出して感情が一気に昂りました。

 

 ああ、あの時は息子と一緒に働いてたんだ・・・と。

 

 悲しいと言うより、なんか嬉しくなった自分がいました。

 あの時、確かに息子は生きていた。そう思ったら、この職場だって息子との思い出の場所なんだと感じました。

 自転車を漕ぎながら、訪問に向かう利用者さんについて、心の中で息子に説明していたのも思い出しました。

 

「次行く利用者さんはね、98歳のおばあちゃんだよ。鬱血性心不全があって足が浮腫んで、そのせいで潰瘍ができたから、今から足浴と足の処置をしに行くんだよ。今日はちゃんと起きててくれるかな」

「次は、◯◯さんのところだね。少しずつ食欲が落ちてることを旦那さんが心配してたから、浣腸が終わったら、家族の不安も傾聴しようか」

「次は脳梗塞のおじさんだ。片麻痺があって独居だから、今からお風呂の介助に行くよ。お母さんがコロナで亡くなったばかりで、きっと1人で寂しいと思うんだよね。今日もお薬ちゃんと飲んでるかな」

 

 利用者のことを自分でも頭の中で整理しつつ、息子にも語りかけたりしていました。私の周りにどんな人達がいるのか、教えてあげたいと思っていたのです。

 まあ、今思えばつわりを誤魔化すというか、つわりを乗り越えるための暗示みたいなものでしたが。

 妊娠して、よく毎日自転車漕いだよなあ・・・と今でも自分を褒めたいです。

 

 息子に胸張れる母親になりたいって、多分妊娠中からすでに思ってたんだなあ・・・としみじみ感じました。

 

 そう思った瞬間涙が止まらなくなって、久々に泣きました。。。

 誰もいない事務所で、ティッシュを大量に消費しまくるっていうね(T ^ T)

 

 それを思ったらやっぱり今の職場を退職するのは、勿体ないのか・・・と少し思い止まったりしました。

 

 

 

 

 私が職場に復帰したことは、スタッフから何人かの利用者へ伝えてくれたそうです。

 

 かなり悩んだんですが、私の妊娠に気づいてた利用者さんの家族に、暇を見つけて電話をしてみました。

 

 

 その利用者さんは、心不全が悪化して今年中でお看取りになる可能性が高い方。その娘さんと旦那さんは本当に良い人達で、私がちょいちょい体調不良を起こしていたものだから、結構早めに妊娠に勘づいてくれてたんです。

 

 私が入院すると知って、やっぱり最悪のケースを想定したらしくほかスタッフに「ヨシムラさん、大丈夫?赤ちゃんは・・・」と聞いていたそうです。仕事を頑張りすぎたんじゃないか、うちのケアが大変だから、それがストレスになったんじゃないか・・・とめちゃくちゃ心配してくれていたそうで、私は復帰したら自分から電話しようと思っていました。

 

 娘さんに久々に電話し、復帰したことと、息子の死産を報告しました。

 娘さんも「やっぱり、そうだったんだね・・・」と鼻を啜りながら「大変だったね。頑張ったね」と声をかけてくれました。娘さんのお母さん(利用者さん)も、もうほとんど食事が取れず、医師から年内に亡くなる可能性あり、覚悟をするよう説明受けたと泣きながら話してくれました。

 

 なんか、娘さんの話を聞いてまた私も泣いてしまったんです。

 いつもなら傾聴して、自分がしっかりしなくちゃ・・・なんて思って我慢するんですけど。息子の死もあって、なんか「死」に対する受容が自分の中で変わった気がしました。電話しながらぐずぐずに泣き合って、逆に少し笑ってしまいましたが。

 

 「ヨシムラさんに無理してほしくないけど、でもやっぱり最期はあなたに看て欲しい」と娘さんに言われました。

 

 妊娠する前にも言われたことがあったんですが、本当、勿体ないお言葉です。

 こんなに嬉しいことはありませんでした。

 

 本気の本気で、早く体治して働こう、と思えました。

 

 

 

 やっぱりね、この仕事が好きなんですよね。

 人と関わるってしんどいし、面倒だって思うこともあるんですが。それと同じくらい楽しいって思えることもあるんですよ。

 私はやっぱり「看取り」がしたいと思いました。

 人間だけじゃなくて、生き物すべてが「生」からスタートして「死」というゴールに向かっていきます。「死」は誰もが平等に訪れるもの。でも「生」は決して平等ではなく、本当に「奇跡」だと思うので。

 死ぬまで、最期まで生きている時間は、穏やかなものでありたいと思うのは、誰もが望むことだと感じています。

 

 救急も楽しかったですが、でもやっぱり安心できる家で過ごしたい、大切な家族のそばにいたい、と思える「在宅看護」が私は好きです。

 自分のことを必要としてくれる人が、1人でも居てくれることが、本当の本当に嬉しい。

 なんか、こんな自分にも「価値」があるんだって、思えました。

 

 本当、恵まれた環境にいるよ自分・・・と改めて感じた出勤でした。

 

 

 

 そして、事務職だと手取りで13万だってさ。。。 

 やってらんねーな・・・と。

 来年の結婚式のためにも、金が欲しい(本音)

 

 手取りの給料が思ってた以上に低くて色んな意味で泣きました。

 18万だったらまだ我慢できたけど、15万以下は無理だわ。

死産後復帰して思うこと

 

 今日病院受診でいいお知らせが。

 一昨日から生理が再開し、そのタイミングで胎盤ポリープが一緒に剥がれてきてるっぽい!

 血流もすこーし残ってるけど、前回よりかなり途絶えてるそうです。

 いつもの生理より出血多いのはそのせいと。

 (検診台が血塗れになり、なんか申し訳なかったな・・・) 

 

 でもとりあえず、順調に回復傾向かな〜と。

 希望の光も見えてきました。次回再診は2週間後や。

 

 

 

 そして、本題。

 10/3から復帰したわけなんですが・・・

 結論から言うと、色々複雑・・・笑

 

 初日から自分の店舗じゃなくて、違う店舗で事務作業してます。

 って言うのも、同じ看護仲間の友人(違う店舗)が「ヨシムラこっちの事務所において欲しい」とほぼほぼ無理やり意見押し通して課長を納得させるという笑

 まあ、そこの店舗は元々研修でお世話になってたのと、私の事情を知るスタッフが何人かいるので、居心地はとても良いです。

 作業は終わりが見えない書類整理ですが、別に嫌じゃない(笑)

 ひたすら内職してるような感じで、自分で音楽流しながら適当に仕事してます。

 

 椅子に座って事務作業・・・・とても楽っ!!と感動(T ^ T)

 

 しばらくは、体治すまでこの業務でいいや〜と思いました。

 

 

 

 

 あと、同じ時期に妊娠した妊婦さんもいます。

 正直、しんどいかな〜と思ったんですが。自分がどんな反応するか予想つかず、かなり不安だったのですが。

 「なんでなんでオバケ」が来て、その感情に飲まれるかな〜・・・と思っていたのですが。

 

 これが案外、大丈夫でした。

 

「なんで私が」「なんで私の子供は死んだの」「なんで私だったの」「なんで他の人は幸せなのに」「なんでなんでなんで」

 

 私はこの感情を「なんでなんでオバケ」と呼んでいます。

 ドロドロした感情で、悲しみや苦しみや嫉妬が止まらなくなって、自分を悲劇のヒロインにしたくて追い詰めていく、とんでもなく厄介なオバケです。

 

 以前の私なら、すぐ簡単にオバケに飲まれたかもしれません。

 ただ、私はもう色々とオバケの対処法を調べていると言うか。

 思考を切り替えられるよう、ちょっと特殊なコミュニケーションの勉強もかじっているので、そのおかげもあるかもしれないですが・・・。客観的に自分をみる、自分の思考を理解することで、オバケを寄せ付けないようにコントロールしようと、少し強めに意識はしていました(このオバケの詳細は、また次回ブログで書きたいと思います)

 

 

 でも本当に、復帰した時は少し構えていたのですが。

 不思議と嫌悪感も悲しみも、自分が想像していたより無かったんです。

 

 

 まあ今思えば、違う店舗だったおかげもあるからでしょう。

 同じ部署で妊娠時期も同じでずっと一緒に働いてきた妊婦さんなら、もっと精神的に応えたかもしれません。またはもっと近い存在と言うか、親しい友人だったら、また感情も違ったかもしれません。

 

 幸いにも、私の周りに妊婦はその人しかおらず、環境は恵まれていたと思います。

 

 でも、なんていうのかな。

 ちょっと「怖い」と思ってしまったのは、自分でも驚きました。

 無事に産まれる保証はない。最後まで気が抜けない。

 幸せそうな妊婦の先輩を見て、その裏で「死産」の可能性も隣り合わせなんだよな…って思い、なんだか怖いと感じました。

 

 産まれることは当たり前じゃないって、以前の自分では思いもしなかった不安の感情が込み上げてきました。

 

 だからこそ、本当に無事に生まれて欲しいと、心の底から感じることもできたのかもしれません。

 

 嫉妬とか悲しみより、妊娠は怖い…と正直、今の私は感じています。

 今の私は、すぐに妊娠できません。だからこそ、私の分も幸せになって欲しいし、息子のようになって欲しくないし、私のような感情にもなって欲しくない、と思いました。

 

 この感情は、ほかの妊婦さんに向けるだけじゃなくて、自分のためにも、息子のためにも、大事にしようと思っていることです。

 

 その先輩とは、駅まで一緒に帰ったり、おやつを一緒に食べたりしています。私の愚痴も聞いてもらっています。産後戻ってくるかとか、子供何人作るとか、マンションのこととか、保育園のこととか、色々話せて楽しかったです。

 お腹も触らせてもらいました。動いてて、お腹にいても可愛いと思えたんです。

 

 

 結構、普通に楽しんで仕事をしていたのですが。。。 

 

 

 周りのスタッフから見たら、なんか私が無理してるように見えたらしいです笑

 

 

 課長と私をこの事務所に呼んだ友人が、それぞれで「大丈夫?」とこっそり声をかけてくれまして。

 友人なんか(Aちゃんと呼びます)、私を呼んだ張本人なのに「呼んだはいいけど、やっぱり妊婦のそばはきついかもって心配になって後悔した」と謝ってきました。そして、なぜか私よりも泣き出すという。。。ちなみに、Aは独身です。この時は、私も呆気に取られたというか、なんか釣られて泣いてしまいました。

 私が配属している店舗はスタッフの人数が少なく、私の心身ともにストレスが多かったこと。それが流産した結果ではありませんが、スタッフに恵まれて安定した妊娠生活を送れる部署と比較したりしないか、自分を追い込んだりしないか、それが心配だとAは言いました。「自分がヨシムラの立場だったら多分、耐えられない」と泣きながら話してくれたんです。

 

 Aは課長にもそれを伝えたそうで、課長からも「先輩妊婦と比較しないか、不安だった」と聞きました。

 

 ああ、まあ確かに普通ならそう思うよなあ・・・となんか私はしみじみ感じてしまいました。

 

 世間一般ではやっぱり死産した母親は「辛い」「可哀想」と腫れものみたいな存在と言うか、そんな捉え方されるよな、と改めて実感した瞬間でした。

 

 

 でも私としては、働きたく無かったらすでにもう退職してるし、妊婦さんがいる部署に行きたく無かったら行ってないし、全部私が「やりたいから」選択したと、腑に落ちていました。

 胎盤ポリープが治るまでは転職もできない、お金がないから働かなきゃいけない、っていう本音もありますが。

 

 でも素直に働きたいとは思っていました。

 また元気になって、看護師として働きたいとは思っていましたし。死産の経験のおかげで、命の尊さも再確認できて、利用者や家族にもっと寄り添えるケアをしたいと思っていたので。

 妊婦を見る辛さよりも、むしろそっちの感情の方が強かったので、別にどこで仕事をしてもいいと、抵抗は無かったんです。

 

 ほかの妊婦さん達に「無事に生まれて欲しい」っていう感情に嘘はないし、無理もしてない。綺麗事でもないし、当たり前の感情だって、素直にAと課長に言いました。

 

 と言うか、いちいちそんな「なんでどうしてオバケ」に取り憑かれてたら、生きるのが辛くなるし、息子を否定している気持ちになる。先輩妊婦にだって普通に失礼だ。

 

 私は自分の意思で会社に戻ってきたし、自分が来たいと思ったから他店舗を手伝ってるし、自分が話したいから、妊婦さんに声をかけてます。

 

 でも、もしかしたら先輩妊婦さんに、私が気を使わせてるかもな…と自覚もしました。

 

 なので、適度な距離を取るようにしようと、心がけもします。

 いや、ちゃんと適度な距離は取ってるつもりだったけども!!!

 

 楽しく働きたいし、死産後って色々気を使ったり使われるんだな〜と本当、実感しました。

 

 

 あとは、あれです。 

 今の仕事が楽しいのは本当。

 行くのも苦じゃない。

 仕事って本当、暇つぶしよ。ずっと家にいるよりやっぱり良いもんです。

 

 

 でも事件発生。

 私が所属してる店舗の上司が退職してしまったので、今うちの店舗は大荒れに荒れています笑

 明日からは自分の店舗に行きつつ、ほか店舗に行きつつ、ぶらぶら彷徨います。。。

 

 はてさて、どうなることやら・・・。

 もうしばらくは、看護職はお休みして、仕事で楽をさせてもらおうかと思ってます。

 

 

 とりあえず、死産後復帰した自分が偉い!

 褒め称える!!!!

 でもしんどくなったら、いつだって辞めて良いんだよって、自分に言い聞かせてます。

 どこまで自分ができるのか、自分を試してるので。

 

 人としても、母親としても。

 息子に胸張れる人間になるぞ〜〜〜〜

 

10月からの目標

 

 

 職場のお偉いさんとグループメッセのやりとりしまして、10月から事務職として復帰予定になりました。って言っても看護師の能力しか無いので、事務さんのお手伝いみたいな。

 東京23区の店舗を転々と彷徨うので、路線に詳しくなりそうだぜ…っ!てか強制的に覚えなきゃいけない。

 

 給料は半分に下がりましたが…贅沢は言えねえ( ;∀;)

 むしろ手取りが20万以下になったことで、倹約家を目指すきっかけになるかも。

 ちゃんと早起きして自炊するよ、毎日弁当作って水筒持っていくよ。夕飯面倒くさいからって銀のさら頼んだりしないよ。

 

 結婚して名前変わったので、楽天銀行も新たに作り直しました(すげー面倒だった)

 また共同口座作って、きっちり、やりくりできる人間になりたいと思います。

 

 お金貯めて、再来年は新婚旅行行くどー!!!

 目指せ50万円(旅行で豪遊したい) 結構リアルな料金。

 

 あとは、将来と言うかまた妊娠した時のために貯金もしていきます。

 でも1〜2年は作らないかもですが。そもそも体治さないといけない。

 

 

 これから「なりたい自分」文字でまとめてみる。

 

 ・ミニマリストになりたい。

 ・必要最低限のもので生きていける人間になりたい。

 ・シンプルに生きたいし、人と比較しないで自分らしく胸張れる人間になりたい。

 ・色んな人とコミュニケーション取って、多様な考えを持つ人間になりたい。

 ・色んな情報を持って、知識をつけていきたい。

 ・他人の価値観に流されない人間になりたい。

 

 つまり、そんな女というか、そんな母親になりたい。

 

 そのためにまず、始めること

 

 1.復職する、仕事に慣れる(出血しないように気をつけて生活する)

 2.家計を見直す 

 3.3月の結婚式に向けて健康的な体づくり(出血に気をつけながら)

 4.早寝早起き

 5.副業始める(在宅ワーク極めていく)

 

 まあ、こんなもんかな。

 やりたいことを作ること、何をしたいのか考えること。

 

 

 息子に胸張れる人生送るために、自分がまずやることはこれだ!!!

 ほどほどに、ゆる〜くやってみよう!!

 おーーーー( ・∇・)

 

 途中で絶対、何個か諦めると思うけど笑

中期中絶を選択すること④

 

 疾患も持つと想定して妊活するのも正直、どうかな…と言う考えもありますが。

 今は医療が進歩し、どんな低体重出生や重い心疾患があったとしても、治療ができる世の中です。どんな病気でも出生率が上がっているのは確か。心構えというか、疾患を持つ子供を育てても幸せなんだってことを、そんな幸せな家族のことをもっと知りたいと考えています。

 

 産まれるなら、健康で産まれてほしい。

 健康に育ってほしいと思うのは当たり前の感情ですが、障害の差別というか偏見も、失くしていきたいと考えています。

 

 しかし、子供が欲しいと思う反面、妊娠が怖い。

 私なんかが、息子の命を諦めようと思った自分が、また新しい命を望んでいいのだろうか?と葛藤もしました。

 

 

 

 出産してから1ヶ月経過した頃、私は突然「死にたい」と言う衝動に駆られたんです。

 

 胎盤が排出しきれず、胎盤ポリープが形成してしまい、大出血のリスクがあると医師から説明を受けた頃です。

 出血が止まらなかったら、子宮全摘になる可能性があり、そうなるともう二度と子供が授からない体になると。

 過度な運動をしないよう生活を変えなくてはいけなくなりました。

 

 

 これは罰じゃないかと、夜な夜な私は思い込みました。

 我が子を殺そうとした自分に、神様が罰を与えたのでは。

 このまま、子供ができない体になる。むしろ、大出血をして死ぬ可能性だってある。

 

 そんなリスクを負って当然だと。

 早く死んでしまえばいい、と。

 

 とんでもない罪悪感が湧き上がり、こんな自分なんか母親になる資格なんてない、と思い込みました。

 新しい命を授かったとして、果たして天国にいる息子は喜ぶのだろうか?と。

 

 そんなドロドロした思考に気が狂いそうになりました。

 今思えば、女性ホルモンのバランスもあって何かに取り憑かれたようなマイナス

思考になっていたかもしれないです。 

 

 

 

 中絶はやはり「人殺し」であることは、間違いありません。

 その事実はふとした瞬間に自分を責め立て、前向きな思考を打ち消して、生きる気力を奪い、地獄の底に自分を追い詰めます。どんなに冷静になろうとしても、どんなに論理的な思考になろうとしても、誰がどんな慰めの言葉をかけても効果はない。

 それだけ、罪深いものであるのも事実。

 

 でもそれは逆に、我が子を愛している証拠だとも言えます。

 

 我が子のことが大好きだから、待ち望んだ命だから。

 一緒に暮らせることが楽しみだったから。

 だからこそ、怒りや絶望が沸き起こって、自分を責め立てる。

 

 でも、それを長期間続けて、歯止めが効かなくなると、それは心のリストカットと同じ。自分自身を切り刻んで、血塗れにして、痛々しい姿になっていく。

 

 

 そんな時、私は自分自身が胎児になったのを想像します。

 母親が泣く泣く中絶を選択して、ずっと後悔して自分を責めている姿を知ったなら。

 私は、これほど悲しいことはないし、母親に早く元気になって欲しいと願うと思います。自分が「呪縛」になって、母親を苦しめているなら、こんなに胸が裂かれることもない。

 

 怖いのは、自分の子のことを「失敗だった」と物のように扱い、すぐに忘れて無かったことにしてしまうこと。

 無関心が、私は一番怖い。

 

 

 毎日じゃなくてもいい。

 ふとした時に、思い出してくれて。

 また、自分のことを父や兄弟や、祖父母や、親戚や、友達にたまに話してくれたなら。

 それだけで、私は幸せだと思う。

 何より、母親に元気に生きて欲しい、幸せになって欲しいと願いたい。

 

 

 中期中絶を選択した過去は、変えられない。

 後悔するからこそ、罪悪感を抱くからこそ。

 だからこそ、自分も、家族も、友人も、他人の「命」も大事にしなくてはいけないと、私はとてもつもなく感じています。

 今いる家族を幸せにしてあげなくてはいけない。それと同時に、自分自身が幸せにならなくてはいけないと、思います。

 

 

 中期中絶は「人工死産」に名前を変えます。

 中絶を覚悟し、お腹の中で心拍が泊まり「流産」に変わる人もいる。そうすれば「自然死産」になる。

 

 我が子がどんな死産をしたとしても、私達は生きていくしかない。

 我が子がお腹に宿った時、幸せを感じたのは、誰もが同じだと思うから。その子を愛している思いは本物だ。

 

 

 

 最初の方に話が戻ります。

 中絶を反対・批判し叩く人達は、当事者の背景を理解していないでしょう。しかし、その人達すべての意見を否定するのは違うかもしれません。

 

 本来、中絶という行為をしたくないのが、多くの母親の思いではないでしょうか。私だって、何も考えずに産めるなら産みたい。 

 

 この世界には、疾患や障害を持つ人もいるし、その家族だっています。

 その人達からしたら、出生前検査で中絶を選ぶ行為は、大事な家族を否定された気持ちになるのは当然。でも、その人達はその人達で苦労があるのも事実。しかし、それを「不幸」とか「自分なら無理」とその人達の背景を理解しようとせず対立するのも、違うのではないでしょうか。

 

 中絶は世界中の人間が常に論争し、答えが出ない問題です。

 

 だからこそ、他人の意見に流されないで「自分の価値観」を大事にして欲しい。そして「相手の価値観」を客観的に考えること。

  

 相手に自分の背景を考えて欲しいと思うなら、自分も相手の背景を考えなくては、フェアじゃない。何も考えずに相手の悪口を言うだけでは、何も意味がない。ただの時間の無駄。

 「こういう考えの人もいる」と、多様な思考も理解していくのも、「命の話」をするには、大事なことだと思う。 

 

 Twitterで中期中絶を肯定していた私に意見をくれた人に、私は正直感謝もしています。

 自分優位にコメントをすることは正直、ただ不快です。しかし、それは相手が私を「知らない」だけで、その人にはその人の正義があるのだと、教えてもらいました。

 

 望んだ命を、愛していた子の中絶を選択し、後悔する人がいたら。

 罪悪感に飲まれて、生きる力を失っている人がいるなら。

 

 私は、心の底から幸せになって欲しいと思います。

 

 また前を向いて歩いて欲しいと思います。

 お腹の赤ちゃんは、決して母親を恨んだりしません。赤ちゃんは誰よりも、母親の元気な姿を望むでしょう。母親が我が子へ願うのと、一緒です。

 

 だから「命」を大事にしてください。

 自分と、家族を大事にしてください。

 

 

 それだけを、私は願っています。

 

 

 〜完〜

中期中絶を選択すること③

 

 ここから、少し自分の話になってしまいます。

 

 

 私はどんな病気でも産んで育てる、と妊娠前はずっと前向きに考えていました。

 しかし「私だけが産みたい」では、やっていけないのだと現実を知ります。

 

 夫は「病気の子ならおろしてほしい」と言いました。

 実母も「障害児を育てるのは、大変」と言いました。

 

 助けてくれる夫も両親もいなければ、シングルマザーは難しい。

 恥ずかしながら、貯金も少ない。私の職業では、在宅勤務だって難しい。私が無理やりどんな子でも産む決断をしていたなら、夫と離婚したかもしれないですし、母親とも大喧嘩をして、孤独になっていたかもしれません。その結果、頼れる人がいなくなって、我が子を愛せなくなって、恨んで、自分も追い込んで、暗いドン底の未来もあったかもしれません。

 

 だから、どんな病気の子供だって、周りの家族が一緒に支えてくれる環境が欲しかったです。

 

 出生前診断をして、陽性の結果だとしても。または、染色体疾患以外で、重たい障害が残ると言われてしまっても。それを知った上で産む決断をした人達は、本当に恵まれていると、私は思ってしまいました。恵まれると言う言葉は、あまり適切ではないかもしれませんが…。

 産む覚悟をした人達を尊敬しますし、正直、羨ましいとも思ってしまいました。

 

 私にはお金も、家族サポートも、夫婦二人の病気の受容も、ありませんでした。

 

 

 私達夫婦の息子は結局、遺伝病とは関係ない疾患と診断されました。

 なので、遺伝子カウセリングを受けただけで、結局出生前診断は行っていません。しかし、実行していた場合、ある程度の方針を決めていました。

 

 染色体の疾患がわかったら全ての疾患で「中絶」を選択するのではなく、ある病気なら産もう、と自分達の条件を決めたのです。

 

 「合併症が少ないダウン症ターナー症候群など、長く生きられる病気なら産みたい」という意見を一致させます。

 

 13・18トリソミーでは、寿命が短い。苦しい思いをさせてしまうかもしれない。頑張って生きている子もいるが、やはり今の自分達では育てられない。経済力も、育児介護環境も、私と夫のサポート体制も、今の私達では、この病気では育てられないと判断しました。

 しかし、ダウン症であるならば。合併症も軽度で、数回で完治できる心臓の手術なら、お金はなんとか、ギリギリ用意ができるかもしれない。発達障害があったとしても、自分の足で動くことができて、寿命が長くて、生きがいを見つけることができるなら、幸せにできるかもしれない。

 

 この時は、そんな条件で羊水検査をすることを覚悟しました。

 

 

 

 また次の子を妊娠できたなら。

 私は、医師から指摘が無ければ出生前検査はしません。

(クアトロやNIPTなど確率の検査はせず、確定診断の羊水検査か絨毛検査しかしないでしょう)

 そして、もし染色体異常がわかったなら…。また、重たい病気があると言われてしっまったら、私達はどうするのでしょう。

 

 

 それは、また「その時の私達」でないと、正直わかりません。

 

 

 今度こそ、「産みたい」と思うかもしれない。

 

 死産した第一子を思い出し、今度こそ、心臓が動いているならどんな病気や奇形な姿だとしても産むと、一心不乱になって、自分の意思を貫き通すかもしれない。

 

 なかなか子供ができず高齢になり、不妊治療をしたならば。

 もう最後の子供かもしれないと言われたなら、例え予後不良と言われても、繰り返し治療を重ねて、リハビリをさせて、その子が生きられるよう奇跡を願うかもしれない。

 

 どんな病気なのか、どんな障害が残るのか。どんなケアが必要で、生きるためにどんなサービスが必要なのか。その子に向き合った、個人に合わせた育児を前向きに考えていくかもしれない。

 

 

 しかしまた「産めない」と、諦めてしまうかもしれない。

 

 余命が短いと言われたなら。手術をしても治らないと言われたなら。

 延命治療では苦痛を与えるだけになるとわかったら、やっぱり中絶を選択するかもしれません。看取るとわかって妊娠継続するのは、精神的に自分を追い込む形に、繋がるかもしれないから。

 

 夫や実母がまた不安を抱え、今の家族が離れてしまう可能性があるのなら。夫や両親、義両親の心を変えることができないのなら。それは、私と子供を不幸にする可能性があるかもしれない。

 

 「産む」「産まない」、どっちの結果になったって。

 私達夫婦は、また家族全員が幸せになれるのは、どの選択がいいのかと悩むと思います。

 

 本当に、自分の子がどんな状態で産まれてくるのか、または自分達がどんな心情になるのかは、その時じゃないと、わかりません。

 

 

 私達が出した「決断」を他人に批判されても、私は構わない。

 だって、私達が望んだその子を「愛している」という事実は絶対に変わらないと思うから。

 それを他人が理解できないのは当然、理解してほしいと思うのも、違う。

 

 

 

 今回の妊娠を通して、私は圧倒的な赤ちゃんの疾患に対する知識不足を痛感しました。 

 重度の障害を持った子育てについての現状や知識が欲しく、色んな方のSNSを見させて貰っています。また、赤ちゃんの疾患についても、医療や育児の知識をもっと蓄えようと思いました。

 どんな子でも、多少の障害を持っても、自分達が受け入れられるための環境を変えられるのか、視野を広げていこうかと思っています。お金の貯蓄や、転職も視野に入れる(在宅ワークに切り替えられるのか、稼げるスキルを手に入れる)、どんなサービスがあるのか、どこまで保険が効くのか、どんな施設が存在するのか。

 

 もちろん、健常児を一番に望みますが、どんな子だって受け入れられる体制だって作って行きたい、まずは知ることが大切だと感じました。

 

 

 

④へ続く

中期中絶を選択すること②

 

 私は息子を失ってから、TBSドラマ『コウノドリ』を見始めました。

 

 シーズン2で出生前検査をした2組の夫婦の回があります。

 1組目の若い夫婦は、気軽な気持ちでNIPTを受け、ダウン症と判明。確定検査も受け、中絶を選択するも、処置のギリギリで中絶を拒否して育てることになった夫婦。

 2組目は年配の夫婦で、上に一人子供がいました。個人でお弁当屋を経営しており、手がかかってしまう障害児が産まれると、店の経営が厳しくなるという経済的理由がありました。あえて病気がわかったら中絶する覚悟で検査を実施し、ダウン症と確定。泣きながら中絶をした夫婦です。

 

 この2組の夫婦、どちらも中絶を検討するんですが、どっちも、子供に愛があります。

 

「中絶したくないなら、なんで検査なんかするんだ」

「なんで中絶したのに、母児同室にするのか」

 

 ドラマの中でも、新米医師が中絶を選んだくせに、的な疑問に思うセリフがあるんですが、これは本当に、当事者の母親じゃないとわからない感情なんだよな…と感じました。

 (めちゃくちゃ考えさせられるので、ぜひ見ていただきたい)

 

 他人から見たら出生前検査なんて、身勝手な検査かもしれません。

 この世にいくつもの病気がある中で、染色体異常しかわからない検査です。染色体以外の病気になるかもしれないし、産まれた後だって病気になるかもしれないのに。100%健常児である保証なんて、どこにもないのに。

 

 

 

 私も、遺伝子カウンセリングを受ける前は、出生前検査は全く知識がありませんでした。

 

「なんでこの検査をする必要があるのか?」

「なんで命の選別をしなくちゃいけないんだ?」

 とかなり疑問に思っていました。

 

 しかし、この検査を説明され、染色体疾患の「合併症」について知り、医療児ケアを具体的に想像できるきっかけになったと思います。

 

 染色体疾患は、生命に関わる重度の疾患であり、医療が必ず伴う怖い病気です(※中には生命に問題のない子も稀にいます)

 

 「障害児だから中絶する、しない」で終わらせてしまう薄っぺらい話ではありません。

 

 

 染色体異常は21トリソミー(ダウン症)を一番に思い浮かべると思いますが、染色体疾患の中で53%が21なだけであって、13・18トリソミーや性染色体数的異常、その他の珍しい染色体疾患など実際は多くの種類の疾患があるそうです。

 

 ダウン症は、テレビで芸能人のご家族が出演したり、街中で見たりと結構身近な存在だったりしたので、私はあまり抵抗は無かったんです。特徴がある顔立ちだが、50〜60歳まで寿命が伸びて元気に生活している人もいると。

 しかし心疾患が50%、消化菅奇形が10%、甲状腺疾患や耳鼻科疾患、眼科的疾患があったりと、かなりの数の疾患が合併する可能性があり。心疾患も重度になれば生命に関わるものもあると、知りました。

 

 そして、18・13トリソミーの資料を見た瞬間、私はかなり頭を抱えました。

 

 18トリソミーは、呼吸障害、摂食障害が特徴であり、心疾患が90%、消化管奇形や関節拘縮が合併。気管挿菅や呼吸補助が必要であり、50%が1ヶ月以内、90%が1年以内で死亡することが多い。

 13トリソミーも、18と同様に呼吸障害と摂食障害を合併するため人工呼吸器は必須。心疾患も90%、全前脳胞症、多指趾症、口唇口蓋裂、眼の病気などを合併。生存率は90%の確率で1年以内。

 

 

 医師からは、確率が高いと言われる3種類のトリソミーの説明を受けました。

 

 

 ずっと「どんな病気や障害を持ったとして、絶対に産んで育てる」と思っていた私の心が、一気に打ち砕かれたというか、一気に現実に戻されました。

 

 「我が子と親の負担が、あまりにも大きすぎる」

 

 素直に、冷静になった途端感じたことです。

 

 心疾患の中でも、心室中隔欠損、心内膜欠損、動脈菅開存など、心臓手術が必要になってくること。手術をすれば完治することもあり、希望もあること。しかし何回か手術を繰り返す必要もあり、合併症の数によっても、中には手術中に死亡するケースもあるとか。

 食道閉鎖症の場合は、どうしたって経管栄養が必要。母乳やミルクだってチューブから注入しなくてはいけない。

 そして、人工呼吸器をつけた場合、呼吸状態、酸素量のこまめなチェック、カニューレの管理、吸引などを頻回にしなくていけない。少しでも痰が詰まってしまえば、我が子は窒息してしまう。

 

 

  全ての合併症が起こるわけではない、と説明があるも、医療児の我が子を、私達夫婦が幸せにできるかどうか、という問題に直面しました。

 

 

 13・18トリソミーでも、数年長く生きられる子もいる。しかし、生きられない子もいる。家に帰れず、ずっと病院で過ごして、色んなチューブや点滴につけられた状態で。異物が多く、肺炎や敗血症などいつでも命に関わる感染リスクとは隣り合わせ。抱っこをするのも難しくて、大人でも悲鳴を上げるような大きな手術をして。

 そのまま病院で亡くなってしまう場合だって、ある。

 

 それでも、この世に生まれたことに感謝をし、頑張って生きて欲しいと願い、育てる覚悟をしたとしても。

  

 それが、果たして我が子の幸せなのだろうか?

 産まれて間もない我が子を、どこまで頑張らせればいいのだろうか?

 どこまで生かせばいいのか?

 

 やっぱり、答えのない問題に、頭を悩ませます。

 

 

 

 命を無事に取り止め、家に帰れたとしても、課題はとても多いです。

 

 私達夫婦の両親はどちらも遠方であり、育児介護を手伝ってもらうことは諦めていました。引っ越しをすると言っても、夫の仕事上、今の土地から離れることは困難。

 また、私が退職をして育児につきっきりになったとして、収入が減ってしまっては満足に在宅サービスも受け入れられないと思いました。

 治療費や入院費だって馬鹿にはならない。高額医療費制度と民間の保険を利用したって、自費は絶対にどこかで発生する。退院後も、在宅サービスは無料ではないから。

 医療ケアを見てくれるデイサービスや保育園も見つかるかどうか保証はない。

 

 ただでさえ、健常児だって目が離せないというのに。

 成人した人間の医療ケアだって、スタッフの交代があるから成り立っているものなのだ。

 無事に帰れたとして、医療児ケアは絶対に親にとっても、子供にとっても、身体精神的に過酷なものだと、すぐに実感しました。 

 

  

 これが、現実です。

 決して、綺麗事では語れない。

 

 

 これだけ、重たい病気が隠れている染色体疾患。

 それを知るための出生前診断

 しかし全部が全部、その子に合併症が起こるわけではないため、我が子がどこまで治療を必要とするのか、どこまで生活できる子なのか、様々かと思います。

 

 

 日本では任意の検査ですが、海外ではほ出生前検査を保険適応とし、義務にしている国もあるとか。

 

 

 コウノドリで、ダウン症と確定して中絶を決意した母親は、むしろ現実を見て苦渋の決断をしたのでは、と私は感じました。

 この結論に、正解はありません。

 医療従事者も、その人を責めることはできない。

 中絶はあくまで「選択」でした。

 

 コウノドリは原作が漫画なのですが、実際にあったエピソードを作者が医師や助産師に取材をして練った物語なので、かなりリアルです。

 

 

 望んだ命を中絶することを「最低な行為」「母親失格」と批判する声は沢山あります。

 しかし、中絶後に泣きながら我が子を抱きしめた母親は、その子を愛していました。

 

 望んだ命。

 病気や障害を持っていたって関係ない。

 どんな子だって、産んであげたい。

 どんな子だって、育てたい。 

 

 でも、それが叶わない人達だって、沢山います。 

 

 

 それは、染色体疾患だけの話ではありません。臓器がなかったり、手足がかけていたり。お腹の中ではわからない病気だってあります。

 私達が住むこの世界で、重い病気を持って生活することは、とても生きづらいから。

 綺麗事だけで、産めないのです。 

 経済力だったり、家族環境だったり、サポート体制だったり。仕事だったり。その子を豊かに育てられる環境が揃っているのか、真剣に考えなくていけない。

 

 母親は産みたい。でも父親は産んでほしくない。

 母親は産みたくない。でも父親は産んでほしい。

 

 両親のどちらかの意見を優先するのも、違います。赤ちゃんの親は片親ではなく、必ず二人です。赤ちゃんだけでなく、自分達が幸せになるにはどうすればいいのかを、どういう結果なら後悔しないのか、必ず両親が話し合わなければいけません。

 

 重たい疾患がわかって「周りが産めって言うから」なんて理由で産む方が、赤ちゃんや自分達を傷つける結果になるかもしれない。

 

 他人任せの判断ではなく、自分達で選択するから意味がある。

 逃げないで、ちゃんと「命」に向き合わなくちゃいけない。

 

 薄っぺらい情報だけで叩いてくる他人は無責任です。経緯も、その人の背景も知ろうとしないし、胎児や母親のリスクもわかっていない。そんな無責任な人達の批判や反論を真に受けるのは、ただの時間の無駄。

 中絶は「正しい」「正しくない」で、他人が自分優位で評価するものじゃない。

 

 

 父親だけでも、母親だけでもない。

 両親二人が揃って「家族のために」悩んで悩んで、何度も悩んで決めたなら、それが「愛情」だと、私は思います。

 

 

 ③へ続く