ヨシムラの日常日記

自分らしく、ゆっくり歩いて行こう

妊娠から死産まで15「見送る準備」

 

 前から子供の名前については、いくつか候補があった。

 夫がインストラクターのため、子供と接することが多い。なるべく生徒と被らない名前がいいと希望を出していた。

 キラキラネームが流行しているが、昭和な思考の私達は、当て字ではなく誰でも読める名前にしたいと思っていた。

 

 私達の子は、エコーではまだ性別が判別できない。生まれてから確認することになっている。男女どちらも使えるような名前も考えたが、結局男なら男、女なら女の名前をそれぞれ準備した。

 

 夫は、妊娠前に男の子が欲しいと言っていたことを思い出す。理由は女の子の扱いがわからないから、だとか。私はもう一度同じ質問をした。

 

「男の子と女の子、どっちだと思う?」

「ん〜・・・どっちだろ。どっちでもいいよ」

「ほう」

 

 男がいい!とてっきり言うかと思ったが、意外な反応だった。

 

「私もどっちでも嬉しいけど、何でかな。男の子のような気がするんだよね」

「へえ」

 

 根拠は何もなかったが、なんとなく、そんな予感がした。勿論女の子でも嬉しい。自分は3姉妹で、うちは親戚も女系だ。だから男がいいなあ・・・なんてずっと期待していたからかもしれないが、本当になんとなく、男の子がお腹にいる気がした。

 

「まあ、どっちでもいいか。男と女どっちが生まれたって」

「うん、そうだよ」

 

 期待した性別ではなかったと、嘆く人を何人か見たことがある。でも、そんなのどうでもいい悩みだと今では思う。性別なんて関係ない。無事に生まれれば、それだけで幸せなんだから。

 

 男の子なら『大和(やまと)』、女の子なら『汐(うしお)』

 

 もともと考えていたいくつかの候補から、この二つに決定した。

 

 

 

 

 

 それから数日間、私はパンフレットやインターネットを読み漁り、どんな手続きが必要で、どこまで自分の子に何ができるか考えた。祖父や祖母が亡くなる時は、ほとんど親戚と両親が手配していたため、納骨までの流れも1から調べる必要があった。

 12週を超えて人工中絶した場合は、死産届が必要で、役所に出して火葬許可証を貰わないと火葬ができないと初めて知った。中絶もお産扱いになるため、産前産後休暇が取れる。出産育児一時金ももらえるため、費用はそこまでかからない。

 逆に言えば、12週以下は死産届もいらないと。流産したら、病院側が引き取るらしい。火葬や埋葬はいらない。そして、産前産後の休暇が取れない。

 

 週数によって全然流れが違うことに驚きつつ、入院までに必要書類や道具、また火葬までの流れについて確認した。

 

 診断が確定した日から、上司にはすでに報告していた。

 ある程度、入院になるかも的な話は少しずつしていたが、改めて自分の赤ちゃんはもうダメでした、とスタッフに伝えることが精神的にしんどかった。自分が担当していた利用者やケアマネージャーへ「体調不良で」と理由を隠し、しばらく休むことの謝罪の電話をかけ、ほかスタッフに引き継ぎを行う。スタッフには妊娠していることは伝えていたため、色々と察してくれたみたいだったが、気を使わせているのは明らかに感じた。

 

 理由を言えば休ませてくれたとは思うが、その分残されたスタッフの負担が大きすぎると感じ、ギリギリまで働こうと思った。仕事をしていないと、何か気が紛れることをしないと、また心が押しつぶされるような気もしたのだ。

 

 

 人事総務課に、産休や出産の手続きや復職届についての書類を確認しなくていけない。入籍したばかりであることと、妊娠していることもまだ報告していなかったため、沢山の報告に総務課担当者も混乱していたようだった。会社で死産したスタッフも事例になかったらしく、12週以降の産休についても初めて知り、会社側で改めて制度について調べるとのことだった。

 しかも、まだ保険証の新しいものが届いていないため、結局入院は旧名で対応されることになる。

 

 精神的に参った状態で様々な手続きに追われ、デキ婚はなんて面倒くさいだ・・・と初めて心の中で嘆いた。結婚して名前が変わっただけで、なんでこうも事務的処理が多いのかとても苛立った。

 人工妊娠中絶といえど、手術と言う名のお産だ。その日に絶対に生まれると言う保証もなく、産前産後の指定日も曖昧、保険証もまだ新しいものが届かないため、旧姓と新姓どちらでどう名前を書けばいいのかわからず、なかなかスムーズに事務処理がいかなかった。結局、退院後に処理をしていくことになり、休み中もしばらく総務課とやりとりをすることになった。

 

 仕事もしながら、赤ちゃんを見送る準備もしなくてはならず、かなり多忙な1週間を過ごしたと思う。

 

 今思えば自業自得なのだが、死に向かう我が子のことだけを考える時間も与えてくれないのかと、誰に向けていいかわからない怒りで震え、夜中に1人で泣いた。手続きや書類が面倒くさい、なんで女はこうも負担が多いのかと夫にひたすら愚痴っていた気がする。 

 

 だがそう思っても時間の流れは止まってくれない。

 

 時間があれば赤子を亡くした人のブログを読み、赤ちゃんのために何を準備しようか考える。そこで、とある人が手作りのお棺を作っていた記事を見つけ、参考にさせてもらった。

 楽天市場で赤ちゃん用のエンゼルボックスを見つけ、その人を真似してシールでアレンジしようと思った。翌日発送にし、小さいサイズのものを購入する。

 イトーヨーカードーで折り紙や便箋セット、シール、おくるみ変わりの白いタオルを買った。

 

 同じく死産を経験した人達が、赤ちゃん用のおくるみや服、布団を作っているサイトがあることを知っていたが、入院日までに届くかわからず、購入は諦めた。自分で作ってみるか・・・と考えるも、裁縫は致命的に下手であり、やめた。

 

 脳と内臓が飛びているのと、足も曲がっていると言っていたので、服を無理矢理着せると可哀想かと思い、タオルだけで包むことを考える。そのかわり(かわりなのかわからないが)昔から絵が得意なので、無地の便箋に絵を書いてあげようと思った。折り紙で鶴も用意したい。夫にも絵と手紙を書かせ、折り紙を折ってもらおうと考える。

 

 『赤ちゃんとの思い出』リストを確認しながら、項目にチェックを入れていった。

 

 (体の状態的に、沐浴は難しいだろうから、これも諦めよう。爪切りもできない。臍の尾はもらえたら欲しい、手形と足形も欲しいけど・・・サイズ的に難しいかな) 

 

 そして、この時の私は「命名」「手紙」「抱っこ」「母児同室」を希望する。

 奇形児だから、産まれてきたらショックを受けるかもしれない。写真を撮るか撮らないか、その時の自分の心情で考えようと思った。

 夫の反応にも注意しようと考えた。まだ臓器に見慣れている私と違って、夫の方がショックが大きいかもしれない。もし夫が拒絶したら、無理矢理抱っこしてもらうのはやめておこうと思った。

 

 自分ができることを、やってあげたい。

 この子が寂しくないよう、愛情が伝わるように何ができるか必死に考えた。

 

 夫にもパンフレットを読み込んでもらい、処置の流れについて振り返る。写真については、「うん。産まれたら写真撮るか考えよう。目に焼きつけるでもいいしね」と納得してくれた。

 

 思いを込めて白い紙のお棺を組み立て、蓋の裏はかわいい水族館の生き物シールを貼り付ける。中にタオルを敷いて、4羽の鶴を折った。

 夫が折ったオレンジの鶴がやけに不恰好だったのが、少し笑えた。便箋には、太陽と雲、天使の赤ちゃんと実家の猫を私が描き、夫には犬の絵を書いてもらった。しかし、夫はなぜかポケモンのワンパチを描いていて、便箋の中で浮いた存在になっている。まあ、夫らしいからいいかとまた笑えた。

 

 入院前日に、手紙を書いた。

「お誕生日おめでとう。ちゃんと産んであげられなくてごめんね」

 その一文を書いただけで、涙が止まらなかった。

「妊娠がわかった瞬間、驚きよりも嬉しさが勝って、笑ってパパに報告したのを、今でも覚えています」

 

 手紙を書きながら、私は幸せだったんだと、気づいた。

 

 受診が楽しみで、ワクワクしていたこと。お腹の中で動いている姿が、可愛いと思ったこと。母子手帳をもらいに行ったこと。引越しをして、3人でどうやって寝るか考えたこと。従姉妹がお下がりをくれると連絡をもらったこと。野菜を多く食べようと、レシピを調べていたこと。出産・育児の本を買ったこと。つわりはきつかったけど、お腹の子が元気の証拠だと言い聞かせていたこと。自転車に乗りながら、「うお〜がんばれ我が子」と声をかけていたこと。色んな人からお腹を撫でてもらったこと。名前を何にしようか、考えていたこと。

 

 妊娠した瞬間から、幸せをもらっていたのだと思った。

 思い出は、もう作られていたんだと思った。

 

 賛否両論あるかと思うが、私はどうしてもいれたい一文があった。

「生まれ変わったら、またパパとママと一緒に暮らそう。ずっとずっと大好きだよ」

 

 生まれ変わって戻ってきてほしい。また、一緒に暮らしたい。

 この子はこの子だ。たった1人しかいないとわかっているが、もしご縁があって次の子が生まれてくるとしたら。この子の魂の欠片を背負って、命を宿してほしいと思った。

 スピリチュアルな思想だが、こう思わないと、心が折れてしまいそうだった。そう思いたくて仕方なかった。

 

 夫の手紙にも、同じように「生まれ変わって、戻っておいで」と書いてあった。

 

 私達夫婦は、これでいい。

 この子に伝えたい愛のメッセージは、この言葉がいいと思った。