妊娠から死産まで23「お願いします」
大和と過ごした最後の夜は、2時間ぐらいしか寝なかった。
なるべく腐敗させないように室温は20度近くまで下げて、ガンガンに部屋を冷やしたこともあったかもしれない。寒い中眠れず、起きては抱っこしたり、顔をのぞいたり、触ったりを繰り返した。
外は大雨で雷が鳴っていた。
「うわ、外すごいな。ね、大和」
そうやって、声をかけながら過ごした。
大和の顔を見るたびに泣いたり、大和の顔を見るたびに笑ったり。私の精神状態はまったく安定していなかったが、親子で過ごす最後の時間をゆっくり過ごせたと思う。
気づけば雨は止んで、外は明るくなり朝になる。
時間は止まってくれない。
今日の天気は曇りのち晴れだと、テレビで確認した。
「◯◯さん、おはようございます」
朝の検温時に、Fさんが昨日作ったアルバムを持ってきてくれた。
アルバムには、大和の顔写真が貼られ、手足の形スタンプが可愛く装飾されている。ベッドネームとネームバンドも入っていた。まだ保険証が更新されていないため、旧名で書かれていたが、私が手書きで書いた新名もあり、両方の名前を持つのは贅沢だと、なんだか笑えた。
思い出の品のほかに、Fさんからの手紙も入っていた。
「恥ずかしいから、あとで読んでください」と照れるFさんに言われた通り、検温が終わった後に内容を読む。
その内容に、また号泣した。
『お腹の中でお母さんが感じていた幸せな気持ちや思い出はきっと大和君も覚えていてくれていますね。その思い出はきっとかけがえのないものだと思います』
Fさんの優しさが、とても身に染みた。
その手紙は大和のアルバムにずっと挟むことに決める。
そのあと、偶然にも昼間担当だったEさんにも会うことができた。
「夕方産まれたんだってね! 顔見に行ってもいい?」と今日の担当でも無かったのに、わざわざ病室に来てくれた。
昨日の出来事を一緒に振り返ってくれる。
「昨日、夫が仕事に行くギリギリで産まれてくれたんです」
「そっかそっか。パパとママがいるところで産まれたかったんだね」
「本当に、タイミングを読んでくれて、私も助かりました。でも、心臓が動いてたらまた違った気持ちだったかも…なんて」
「そうだよね。心臓が動いてたら、また違ったかもね…」
Eさんが、目を滲ませて、鼻を啜った。
「あ、ごめんね。本当はこんな時に泣いちゃいけないんだけどさ。でも、私も慣れてないっていうか…まあこういう別れ方は慣れたらダメだって、言われてるんだけど。やっぱりさ…辛いよね」
「…はい。ありがとうございます」
私も、Eさんにつられて泣いてしまった。
私も、大事な人を亡くした家族と一緒に泣けるような人間になりたい。今までは、泣いてはダメだと教えられてきたが、今は、医療職だって泣いてもいいんじゃないかって感じる。
Eさんも、Fさんも、他の人達も。ここで働く産科のスタッフは、みんな患者に寄り添える素敵な人達が多いと思った。
「出血はまだ少しありますが、今日退院にしましょうか」
朝8時に、A先生の診察を受ける。
経膣エコーの結果、退院の許可が出るも、A先生は少しだけ眉をひそめていた。
「ただ、まだ胎盤が少しだけ残っています。爬行処置するか悩むところなんですが…。とりあえず、自然に排泄されるか様子を見ていこうと思います。次回は、2週間後に診察予約を入れますね」
「わかりました」
抗生剤と、子宮収縮剤と、鎮痛剤を処方される。
出血量が増えたり、高熱と腹痛があるようならすぐに連絡するよう説明を受け、私はA先生に頭を下げた。
病室に戻り、帰る身支度をせっせと整える。
夫に朝9時に病院に来てもらい、親子3人で残りの時間を過ごす予定だ。
退院準備が全て完了したら、大和は葬儀屋に引き取ってもらう。息子を送り出し、私達もそのまま退院になる流れだった。
「おっす。来たよ」
夫は時間通り9時に到着。
「大和、パパ来てくれたよ」
ベビーコットにいる大和を覗き込み、また夫は泣いた。大和を抱っこして、じっと見つめ合う。意外なことに夫も大和の体に興味津々で、ドレスを捲って臓器を観察していた。
「これ何?」
「肝臓。んで、このミミズみたいなのが小腸。あ、大腸も見えるね」
「ほう。足もちっさ」
「右足やっぱり取れちゃったみたいで、クリップでくっついてる状態なんだよ」
「なるほどね」
「足長いでしょ。目も大きくて、助産師さんがあなたに似てるって言ってたよ」
「え?そう?」
「DNAってすごいよね」
そんな会話をして、笑った。しんみりした雰囲気より、少し明るい雰囲気の方が、大和も喜ぶと思ったから。二人でアルバムを見て、Fさんの手紙を読んでまた泣いて。
そうやって時間を過ごしていると、葬儀屋さんが来た。
火葬のコースと流れについて再度説明を受け、契約書にサインを書く。
死産届を先生に書いてもらったのだが、私の名前は旧名になっていた。住民票が新名になっているため、役所では新名で提出する必要があるらしく、葬儀屋に指摘を受けた助産師さん達が慌てていた。訂正が必要になり、また退院準備に手間を取らせてしまう。
出生時一時金の手続きも、保険証を変えてからの方がいい、と事務スタッフから言われてしまいかなり面倒だった。
(後に知るが、私の新名の保険証は年金機構で手続きが止まっていたらしく、そのせいで郵送が遅れていたそうな…。しっかりしろ行政)
退院後に請求を確定するため、支払いは次回受診時になった。
保険証問題がここまで迷惑をかけるとは知らず、デキ婚は少し考えを改めたほうがいいか…なんて考える。
そんなこんなで、全ての退院準備が済んだのは、結局12時近くになっていた。
「そろそろ、赤ちゃんをお棺に移動しましょうか」
本日担当の助産師さんにそう言われ、私と夫は気を引き締めた。作った棺桶を準備して、少し手が震えた。蓋に貼ったシールを見て、助産師さんも可愛い、と褒めてくれる。
赤ちゃんドレスごと、私は手作りの棺桶に大和を移した。折り紙鶴を4羽、そして夫婦で書いた手紙を大和の布団の上に置く。
棺桶におさまった息子を見て、またブワリと感情が込み上げた。
涙が止まらず、しばらく大和の顔を見つめる。
「よかったら、皆さんの写真を撮りましょうか? 折角、こんなに素敵なお棺もありますし」
助産師さんが、写真を提案してくれた。
「お願いします」
夫が、私より先に答えた。
夫が棺桶に入った大和を抱いて、私は装飾した棺桶の蓋を持つ。
全部で、5枚。目と鼻が赤くなった私と、夫。その表情は穏やかなものだった。
写真を撮って、大和を見つめて。我が子の最後の姿を目に焼きつけ、棺桶に蓋をする。
すぐにB先生と師長さん、葬儀屋が病室に入ってきた。
B先生と、師長さんが一緒にお見送りをしてくれるとのことだった。師長さんはコロナの件で何回か電話でやり取りをしたことがあり、今回が初対面となる。とても優しそうな人だった。
「わあ、このお棺すごい。手作りですか?」
「可愛い」
B先生と師長さんが褒めてくれた。まだ大和と対面していなかった先生が「お顔見せて」と言って蓋を開け、大和の顔を覗いてくれる。生きているように、普通の子と同じように接してくれることが嬉しかった。
「一緒に、エレベーターまで見送りますので、よろしくお願いしますね」
「はい。お願いします」
病院の別れって、こんな感じだったな…なんて懐かしく感じた。
自分がこんな早くに見送られる立場になるとは、想像もしなかった。
「では、そろそろ…お支度を。準備は、よろしいでしょうか?」
「はい」
師長さんが声をかけてくださり、私と夫は荷物を持った。忘れ物の確認をしてもらい、最後に大和の顔を見て、蓋をする。
葬儀屋さんに大和が入った棺桶を渡すと、その人は改めて、頭を下げた。
「では、御子息は我々が責任を持って、お預かり致します」
「…はい。よろしくお願い致します」
師長さんに案内され、私達は病棟の裏側の通路を通って、病院関係者専用のエレベーターホールへ向かう。
私達と葬儀屋の帰る出口は違った。
地下からエレベーターが上り、葬儀屋さんと大和だけが、先にエレベーターに乗る。
「では、明後日の8月6日。火葬が終わった後、担当の者がご自宅まで責任を持って、お届け致します」
「はい。よろし…」
そこで私は言葉が詰まる。
(連れて行かないで)
私の赤ちゃん、連れて行かないで。
脳裏で浮かんだ、本音をグッと堪えた。
だめだ。だめだ。だめだ。「私」じゃダメだ。私になった途端、また泣き喚いて、棺桶にすがって、周りに迷惑をかける姿が浮かんだ。もう一度、最後に大和の顔を見てしまったら、もう離れられなくなると思った。
ここは病院。「私」の気持ちを無理やり押し込め、「看護師」の仮面をかぶって、私は深々と無理矢理頭を下げた。
「よろしく…お願いします…」
鼻水を啜りながら、絞るように声を出した。
B先生と、師長さんと私達夫婦で、エレベーターが全て閉じるまで、お辞儀して。
そうやって、大和の亡骸とお別れをした。