ヨシムラの日常日記

自分らしく、ゆっくり歩いて行こう

妊娠から死産まで4「心拍確認」

 

  6月10日、2回目の受診。

  妊娠9週5日にて、心拍を無事に確認。1ヶ月空いたため、ちょっと緊張していた私。

  この日は夫も同席していた。

 

「トクトクトク」という音を想像していたが、「バクバクバク!」と思っていた以上に大きい音とあまりにも早い回数に衝撃だった。

 赤ちゃんの心拍数は成人の倍だ。

 

「赤ちゃん、元気に動いてますね」

 

 A先生の言葉に、ほっとする。ぴこぴこと動く胎児が可愛く、愛おしく感じた。

 

夫が「これは自分の意思で動いてるんですか?」とよくわからない質問をする。

A先生「う〜ん、まあ意思って言えば意思なんですかね」とちょっと苦笑しながら回答。

 

 夫の純粋な質問に、私も少し笑った。

 

 9週の壁と言われる時期。流産しやすいとTwitterの記事を見てずっと心配だった。

 仕事で下手をすれば20kmほど自転車で漕ぐことがある私は、正直体力の限界を感じていた。

 この時期から食べづわりも始まり、空腹時が一番吐き気に襲われてきつい。

 利用者の自宅を目指すわずかな間でコンビニでおにぎりやパンを買っては食べていたが、以前よりも呼吸は苦しいし、すぐに息切れもするようになる。体重も気にしていたため、食べたくもないのに食べないと気持ち悪い症状は、精神的にもしんどかった。

 

 先生に自転車はどこまでOKなのか、確認するが「制限はない」と言われてしまう。「無理しない程度に」という曖昧な表現が正直、いらっとした。

もし事故に遭ったら「すぐ救急車を呼んで。母子手帳あれば大きな病院に連れて行ってくれるか、あとはうちに運んでくれるだろうから」と。

 

 かなりあっさりした内容で、不安になった。

 いやいや、救急車で運ばれないように予防したいんですが・・・と思ったが、仕事上そうも言ってられない。

 出血や切迫が無ければ、仕事の制限はできないのが現実だ。つわりも重度の悪阻までいかないと母健カードの記入の対象にはならないと。

 

 世の中の妊婦は一体どうやってこの苦しみを耐えているのか、と本気で思った。

 

 まだまだお腹は膨らまない。でも妊娠初期の症状が一番きついのに、仕事を休めない。休むほどのものではないが、変わっていく体調の変化は、身体精神的にきついことばかりだ。

 会社には、正直体がきついと言ったけど、医師の指示がないと時短もできないと言われてしまった。雨の日は自転車ではなく交通機関を利用したいと伝えても、金銭面から却下される。他の訪問看護ステーションの妊婦の記事を見て参考にしようと思ったが「200%安全な運転でこいでる」とか「1日3〜4件、近くの利用者だけ担当している」とか私の職場では叶わない環境ばかりだった。自転車じゃなくてバイクでも可と会社から言われたが、都内をバイクで走れる自信はないから無理だった。というか、バイクを運転したことは今まで一度もない。

4月から看護師が1名新入職が入るも、その子に全て任せてしまっても負担が大きくなってしまうから、自分がギリギリまで頑張るしかない。急坂を毎日自転車でこいで、重たい利用者の体位交換をして、謝罪の電話や依頼をかけて、ストレスが溜まっていく一方。

 赤ちゃんが大丈夫か心配だった。流産しないか、不安だった。

 

 その不安がよぎり、よく話題になっている出生前遺伝カウンセリング検査を思い出す。最初の診察の時に希望者がいれば検査が可能という用紙をもらっていた。染色体異常があるかどうか、自費であるがクアトロ検査、羊水検査、NIPTといった検査などの説明が書かれていた。

 看護学校の友達が、出産前にクアトロ検査をしたという話を聞き、医師に私もした方がいいか質問した。

 

「高齢の妊婦や、エコーで赤ちゃんに異常があった場合に検査はすればいいですよ。◯◯さんはまだ若いし、検査しなくても大丈夫。お金も結構かかりますし。ただ、どうしても受けたいというなら、カウンセリングを受けないと実施できないので、外来の予約はします。まあもうちょっと赤ちゃんが大きくなった頃の方がいいかと」

 

 簡単な説明を受けて、「じゃあ別にいいか」と納得した。

 正直、この検査についてはこの時は詳しく調べていなかった。ただ、なんとなく受けるべきなのか先生に聞いただけ。自分に必要がないなら、別にいいと。

 先生が母健カード書いてくれないなら、直接上司と仕事量を検討しようと思った。

 夫も特に気にした様子もなし。

 

 出生前遺伝カウンセリングは、無縁だと思ってた。

 

 この外来カウンセリングをまさか自分が受けるとも思わなかったし、こんなにも辛くて苦しいカウンセリングで、精神的に追い込まれるような検査内容と知ることになるなんて、夢にも思わなかった。

 

 

 

 

 

 

 病院受診の帰り、その足で直接市役所まで行き、母子手帳をもらって帰ってきた。

 憧れだったマタニティマークをもらい、すぐにリュックにぶら下げる。

 引っ越しは6月の下旬、7月1日に入籍することを決めた。婚姻届けと転居届を同時に提出すれば処理が1回で済む。

 母子手帳は保険証が変わるまでは旧姓で使用することに。鉛筆で薄く名前を書き、保険証が変更になったら、ボールペンではっきりと書くよう保健師から指導された。

 出産予定日は2023年の1月8日。

 まだまだ時間はたくさんあると思い、焦らずゆっくり手帳は書いていこうと思った。