ヨシムラの日常日記

自分らしく、ゆっくり歩いて行こう

妊娠から死産まで10「話し合い」

 

 カウンセリングが終わり、少しだけ気持ちは落ち着いた。

 家に帰り、しばらくベッドに横になってスマホをいじった。

 

 クアトロ検査や、NIPT検査をして「陽性」が出た人の記事を見た。しかしこの二つは確定診断ではないため、結局羊水検査も実施することで最終診断となった人が多数いる。この検査、全て受けたら15〜20万近く支払いが必要になるのだ。病院にとってはいい収入になるなあ、とぼんやり思った。

 出生前検査は、産科学会では倫理的問題で揉めていることが多いらしい。「胎児が障害を持っていたとわかり、中絶することは許されるのか」と。今アメリカでも中絶をしない法律ができたと話題だが、テレビに映った賛同している人達の中には、男性が多かった。中絶は殺人だとか、命を軽んじている何て冷たい言葉をよく聞いたことがある。

 

 私は妊娠する前は、「中絶は、時には選ばなくていけないもの」と思っていた。勿論今でもそう思う。でも、今回お腹の子の中絶を選択する立場になった時、中絶はしたくないと拒否反応がとんでもなく強かった。

 

 好きで中絶を選ぶ人は、いないのだ。

 私は、妊娠がわかった瞬間から、母親になった。この子を守りたいと思った。

 

 それでも、育てる環境が決して整えられるかというと、自信はない。

 重度の障害児だとしたら、保険適応といえど金銭に限度がある。在宅サービスを使用したとしても、ケアが多ければ多いほど、自費が発生する可能性があり、無理してでも家族が必ず介護する立場になる。

 でも両親共働きでないと、経済的に生活ができないのが現実だ。どっちか片方が仕事を辞めて子供に付きっきりになったとして、果たして家族は潤った生活ができるのか?ただでさえ、感染症が流行るご時世。夫の仕事が100%安定はできない。心に余裕は絶対ない。自分達の高齢な両親にだって、簡単に孫を介護させるわけにはいかない。

 

 途中でどちらかの親が、それとも両方が。育児放棄や虐待をしたりしたら…。心の底から愛せるかどうか、保証はない。それほど心身ともに疲労が重なると、人は優しさなんて持てなくなる。愛情を失ってしまうこともある。

 自分達が育てる覚悟があるなら、乗り越えられるかもしれない。でも、夫は妊娠中断を希望している。

 

 離婚に繋がる可能性だってある。子供を傷つける可能性がある。

 

 葛藤して、悩んで、覚悟して、でもまた葛藤して悩んで…

 

 そうやって何度も何度も自分の中で現実と向き合う必要がある。

 

 これは自分一人の問題じゃない。母親だけじゃ、子供は誕生しないから。一緒に暮らしていく父親がいるならば、夫も巻き込んで、一緒に悩んでもらわなければ、後悔が必ず残ると思った。

 

 

 

 

 その日の夜、帰ってきた夫に今日のカウセリングの資料を渡して、全部説明した。ずっと渋い顔をしている夫だったが、資料はじっと読んでくれた。

 

「私、正直中絶が怖いよ。あんなに辛いつわりを乗り越えたのに、ここで妊娠諦めるのは嫌だ。でも、重たい病気を持った子を育てるのは、正直、今の『私達』じゃしんどいと思う。お金もないし、仕事を辞めなくちゃいけなくなるかもしれないし・・・。中には、人工呼吸器を使用して、家に帰る子もいるらしいけど、でも、それも今の『私達』では無理だと思う」

 

 とある認知症で寝た切りの患者達が放った言葉で、忘れられない言葉がある。

『ねえ、私は誰に何を貢献しているの?毎日ベッドで過ごして、寝てばかりで・・・こんなの、死んでるのと一緒だよ』

『何も食べれない、外にもいけない。苦しいよ』

 

 意識がなく人工呼吸器をつけた男性の姿も蘇った。会話ができず、1時間置きに吸引が必要で、苦しそうで。褥瘡だらけになってしまって、毎日お風呂も入れないから全身垢だらけ。清式だけでは限度があった。ご飯は食べられないから、胃に穴を開けて毎日栄養剤を流すだけの生活。家族ははみんな先に死んでしまって、お見舞いに来る人もいなかった。

『・・・誰も来なくて、寂しいね』

 個室の部屋で、先輩が布団をかけながらその人に言った言葉が忘れられない。

 

 障害を持っても元気に生活している人達は存在する。でも、そんな人達を障害とは、言いたくなかった。少し不自由があったって、生きがいを見つけて生活できるなら、素晴らしいことだと思うから。

 でもずっと寝たきりで、動けない子を産んだとして、私達が先に死んだら?

 たった1人にさせることができるのか?

 

 それが私達家族にとっての幸せになれるかどうか、わからなかった。

 

「だから、重たい病気が分かったら、中絶もするよ」

「・・・うん」

「あなたはどう? どんな子なら、どこまで育てられるか正直に気持ちを言ってほしい」

 

 夫は相変わらず眉間に皺を寄せてた。

 

「俺は、男だから。お前には申し訳ないけど、全然感じてることが違うかもしれない。もし一人目の子がだめなら、次の子を頑張ればいいって、結構前向きに思う」

「・・・そっか」

 

 この時は、不思議とショックだったり、突き放されたようには感じなかった。男と女は思考回路がそもそも違う。感じ方も、捉え方も。育った環境も、仕事も全然違う。しかも男性は育児をしながら「父性」が宿るらしい。この時点でお互いの価値観がズレるのは当たり前だと思った。

 自分の価値観を押し付けるのではなく、第三者になった気持ちで夫と話したかった。母親になると感情がまた暴走しそうだったから、「看護師」の仮面を少し被っていたかもしれない。

 

「そうだよね。でも私ちょっと怖いのがさ。中絶したら、もう子供を作るのが怖くなるんじゃないかって思ってて。あなたと寝るのがトラウマになるんじゃないかって、ちょっと不安になるんだよね」

「そんなの、その時になってからじゃないとわからないじゃん」

「分かってるよ。でも色んな人にブログとか見てたら、やっぱり怖くなる人もいるらしいし」

「他人の意見ばかり気にするのやめた方がいいよ。お前がそうなるかまだわかんないでしょ」

「わかんないから不安なんだよ!」

 

 また言い合いになりそうだったので、一旦また風呂場に逃げた。でも確かに、ほかの人の意見を参考にしていたが、囚われすぎもよくないかもしれないと冷静になる。夫とまた子供を作りたいと、思える可能性だって、私にはあるんだ。

 

 お風呂から上がり、また話し合いを再開した。資料を見ながら、一番確認したかったことを伝えた。

 

「ねえねえ、あとね。長く生きることができて、自分らしく生活できる子だったら、産んであげたいって思うんだよね。あなたは医療とは関係ない仕事だから、最初は辛いかもしれないけど・・・」

 

 検査の結果、軽症のダウン症ターナーなど、まだ未来がある子なら産みたい。疾患を持ってても、ちゃんと『自分らしく』生きられる、自分の人生を楽しむことができる希望があるなら、一緒に育ててほしいと思った。

 

「芸能人の家族にも、ダウン症の人いるでしょ。それに、最近電車にも乗ってる子いるし。世界で活躍してる人もいるんだよ」

「へえ」

書道家とか、俳優とか。ターナーだったら、子供はできない体になっちゃうけど、でも寿命は普通の人と変わらないって」

「そうなんだ」

 

 しばらく、ダウン症についてスマホで検索して調べてくれた夫。

 

「…健康に生活できる子なら、産んでもいいかもね」

「…うん」

 

 健康の意味は、幅が広い。病気や障害を持っていたって、その人は「健康」になれる。

  多分、実際障害を持った子供が生まれたら、夫は心が揺らぐかもしれない。育児放棄とか、虐待とか。浮気されるようなこともあるかもしれない。辛いこともあるかもしれない。夫を信用していない訳ではないが、子供と向き合えない親だっているのだ。そんな未来の可能性も、一瞬よぎった。

 でも今は、前向きな一言だけ聞けただけで私は嬉しかった。

 

「まあ、どっちみち。今週の検査の結果がわからないと何とも言えないけど。一緒に受診に来てくれる?先生が、なるべく旦那と一緒に来た方がいいって言ってたよ」

「いいよ。何時からだっけ?」

「午後」

「ちょっと仕事休めるか聞いてみる」

「ありがとう」

 

 この日は、久しぶりに夫と目を合わせて会話をした。話をしたら、少しだけ気持ちが軽くなった。この時、夫はまだ実感が湧いていなかったかもしれない。受け入れるような心情ではなかったと思う。

 

 それでも、夫が私に対して「申し訳ないけど」と言った言葉が、少し嬉しかった。ちょっとでも気を使ってくれていたというか、夫は夫でショックを受けたのは確かだと感じた。子供に体操や鉄棒を教えたり、ボールで遊んであげたいと、一番浮かれていたのは夫だったから。

 

 愛し合って誕生した命なのに、ここで夫と別れてしまっては、お腹の子が悲しむと思った。

 

 まだ、検査結果で何もないことを願いたかった。まだ少しだけ、現実逃避をしたかった。2日後の7月7日の七夕では、私はメモに「お腹の子が元気で産まれますように」と書いて庭の木にくくったぐらいだ。

 染色体異常の他に、脊椎にも疾患がある可能性がある。

 最悪の結果の場合も、覚悟は決めていた。

 

 夫には、仕事を休んでもらって7月8日の診察に同席してもらうことになった。