ヨシムラの日常日記

自分らしく、ゆっくり歩いて行こう

妊娠から死産まで7「夫とすれ違い」

 

 人間には「死」の受容への5段階があると言われている。

1.否認と孤立

2.怒り

3.取引

4.抑うつ

5.受容

 

 看護師として、多くの終末期の患者達に対応してきた私。「死」は一般の人よりも身近な職業だと思っており、心のどこかで他人の「死」に慣れてしまったところがあった。

 祖母や祖父が亡くなった時も、悲しみもあったが「よく頑張ったよ。十分生きたよ」とどこか諦めていたような、でも満足したような感覚があった。患者もそうだ。ここまでよく頑張った、ゆっくり休める環境を作ってあげよう。そんな積極的な治療はしなくていい、自然のままで亡くなるのが一番の幸せだ・・・と。

 この感情は、自分の中では間違ったことではないとどこかで固定概念にしていた。

 

 実際、間違ってはいないのだろうけども、「命」に対してどこかで冷たい自分がいたのだ。

 冷たい人間になっていたところがあったと、今では思う。

 

 今ブログを書いて気づいた。

 自分の子の死を経験し、自分自信が死の受容段階プロセスを進んでいたんだと。

 

 妊娠11週で胎児の先天性異常を指摘され、私はその日の夜、夫と喧嘩をしたのだ。

 

 

 

 

 

「遺伝子検査のカウンセリング外来を受診になった」

「え?」

 

 最初にそう告げたら、夫はポカンと口を開けた。

 

「だって、前に医者が受けなくていいって言ってたよな?」

「言ってたけど、今日の診察で異常がわかったんだよ。でもまだ小さくてエコーじゃわかりづらいから、染色体異常の検査を検討した方がいいって。旦那と一緒に来た方がいいって言われたから、一緒に来て欲しいの」

「・・・ふ〜ん」

 

 私はとりあえず夫に子宮に血腫があること、NT肥厚があること、脊椎が屈曲しているかもしれないことを伝えた。ただ、まだ診断の確定はしておらず、はっきりとわからないこと。

 Twitterやブログを見て、NT肥厚が軽減して、無事に健康児を出産した人、二分脊椎でも生活している人を調べて、まだ希望があることも説明した。

 

「まだはっきり確定しないけど、でも最悪障害児が産まれる可能性もあるから、産むか産まないかも検査前にある程度決めておいた方がいいかもって思って・・・」

 

 安易な気持ちでクアトロ検査をして、陽性がでた人のブログやTwitterを見た。染色体異常が見つかり、中絶を選択した人もいた。でも、出産を覚悟した人もいた。

 診断がはっきりしないから、とりあえず、ありとあらゆる情報を得ようと思った。その中で、私は一人で考えた結果を夫に伝えた。

 

「私、カウンセリングは受けるけど検査は絶対しないよ。だって、この検査はダウン症とか染色体異常の病気しかわからないんだもん。検査だって無料じゃないし、普通に生まれて、自閉症とか障害もった赤ちゃんもいるのにさ。なんで検査をして産むか産まないか選択しなくちゃいけないの。最後まで出産して、障害持ってても育てる覚悟はあるし、短い命でも看取ってあげる覚悟があるよ。自分の子だもん、ちゃんと責任持って産むよ」

 

 色んな人の経験を見た結果、私は検査をしたくないと拒否をした。あとになれば思うが、この時は認めたくない気持ちが強かったのだと思う。否認と孤立の心情だったのだ。

 

「それに、もし障害持ってても、今なら色んなサービスとか使えるし。特別支援の学校もあるし!私も小児科とか、もしかしたら新しい分野に視野が広がるかもしれないよ。ちゃんと勉強して頑張って育てるよ。あなただって、健康な子供だけじゃなくて、不自由な子供に体操を教えられるかもよ。そしたらまた仕事も増えるだろうし。それに、まだ病気が確定したわけじゃないし!」

「・・・うん」

 

 新しい未来があると、それもまたいいんじゃないかと、無理矢理自分の夢を夫に押し付けていた。

 スマホをいじりながら、夫はそっけない返事を返した。

 

「むくみも時間が経てば、消えることもあるって。脊椎だってまだはっきり映ってなかったしさ。葉酸のサプリ飲むのは妊娠してから少し時間経ってから飲んだけど、それまで結構野菜食べてたし、簡単に葉酸不足なんてならないよ」

  

 看護師としてあるまじき楽観さだ。予想外の妊娠で、準備が怠っていたこともあった。そして、出産の覚悟があるといいつつ、先生の診察ミスだと期待もしており、言っていることが無茶苦茶だった。

 

葉酸ちゃんと飲んでなかったの?」

 

 夫の口調が、急に強くなった気がした。

 

「え?うん。今は飲んでるけど」

「それが原因じゃないの」

  

 突き放されたような言葉に、私は一瞬言葉を失ってしまった。

 

「それは・・・」

「はあ〜・・・。なんで、こんなこと考えなくちゃいけないんだよ」

 

 大きなため息をついて、イラついたように天井に顔をあげる夫。色々とスマホで病気について検索していたらしい。画面に「トリソミー」という検索結果が出ていた。やけに冷たいと感じたのは、彼も冷静じゃなかったからだと思うが、私は怒りが込み上げてきた。

 

(・・・私が悪いの!?)

 

 言い返そうと思ったが、言葉は飲んだ。

 確かに、二分脊椎は葉酸不足で発症することがあるとのこと。サプリがあまり好きではない私は、妊娠発覚してから1ヶ月後に飲み始めたのだ。しかし、それまではほうれん草などの葉野菜や根菜、葉酸を含んだジュースを積極的に摂取していた。でも摂取量は完璧だったかと言われると自信はなく、返す言葉はない。

 それに、肥満傾向だったこともひっかかっていた。年齢は30歳と若いが、体脂肪が多いため身体年齢は少し上だ。冷え性もある。妊娠前もお酒をよく摂取していた。便秘傾向で、市販の便秘薬も飲んでいた。そして、コロナのワクチンを4月下旬に摂取していた。妊婦に影響はないと言われていたが、妊娠と気づかず高熱を出したこともあった。

 

 根拠のない、思い当たる原因が一瞬で頭を巡り、自責の念にかられた。

 

「俺は、正直・・・お金もそこまでないし。障害持ってたら、育てられる自信がない。もし病気がわかったら、おろして欲しい」

 

 その言葉を聞いて、また突き放されたような気持ちになった。

 母親も、夫も同じ意見だ。医療従事者じゃない人達は、情報がないから、病気を知らないから。病気を持った子供に会ったことがないから簡単に中絶を選ぶんだ、と感じた。今は在宅で訪問看護訪問介護も受けられる。訪問入浴だってあるし、自分は看護師だから大丈夫だと。何かあっても、子供が息を引き取る最期まで看取ってあげる覚悟だってあった。

 赤ちゃんが病気になったのは自分のせいだと思った。自分が責任を持って育てなくてはいけないと、強く思った。最期まで一緒にいてあげたいと思った。

 なのに、一人だけ意気込んでいたことが、急に虚しくなってしまった。

 旦那を攻めるつもりは無かったが、やっと出てきた言葉をポツリと呟いた。

 

「やっぱり、妊娠はまだ早かったんだよ」

 

 夫とやっと目があった。

 

「いや、別に早かった訳じゃ・・・」

「お風呂入る」

 

 価値観が違いすぎて、夫とそれ以上話したくなかった。いつもなら、帰る時間が遅い夫に夕飯を温めて出していたのだが、その日はしなかった。

 

 

 お風呂でシャワーを浴びながら、お腹をそっと触った。

 もし重たい病気がわかっても、治療が必要でも、少しでも生きることができるなら。絶対に産んであげたいと思った。辛いつわりを乗り越えてきたのに、折角引っ越しもして、子供部屋も準備して、仕事の時だって一緒にいたのに。寝てる時も一緒だ。ずっとお腹にいるのだ。一緒に頑張って生きてきた命を無かったことにしたく無かった。

 

 一瞬、「離婚」も思い浮かんだ。 

 離婚して、シングルマザーになって育てる覚悟も考えた。

 でも、夫と初めて出会った時や、一緒にご飯を食べたり、飲みに行ったり、旅行に行ったりした思い出がよぎった。夫とも離れたくないと思った。

 離婚は、したくない。中絶も、したくない。

 

「ねえ、ママはどうしたらいいのかな」

 

 赤ちゃんに話しかけるように、聞いてみた。すぐに出ない答えに悩み、お風呂の中で、ずっと一人で泣いた。

 

 そこから数日は、夫とあんまり話さなくなってしまった。